GT2の頂へ。

1995年6月19日16:00、我らがNSXは胸を張ってサルテ・サーキットのコントロールラインを通過した。グランドスタンドの中央にあった「HONDA」の赤い旗が、日の丸とともに激しく打ち振られた。
全身の筋肉の痙攣がおさまりきらない土屋圭市は、それでも笑顔をつくりピットをあとにした。肩胛骨の骨折を押して出場した飯田章も頬を紅潮させ表彰台へ向かった。待ちに待った瞬間である。
スタンドが湧く。土屋も高橋国光もトロフィーを重そうに持ち上げる。飯田が長身の頭上にトロフィーをかざした。その直後の記者会見で、国光はやはり涙を見せた。ルマンの解説をしていたときでさえ涙ぐむのである。55歳の体躯に鞭を入れ、大勢の人々のサポートの上に、日本のスポーツカー、日本のメカニックと監督、そして日本人だけのドライバーで伝統のルマンの表彰台に立てた感激は涙なしでは語れないだろう。
記者席からの「なぜ土屋さんと飯田さんだったんですか」という質問にもこみ上げる嗚咽で返事が返せない。横から「僕たちが国さんのファンだったからじゃないですか」と土屋が助けた。それを聞きまた涙…と感極まる記者会見となった。
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