夢の24時間

後藤

思えばNSXの挑戦は、F1を去って以来初めて“HONDA”の刻印がレースの本場・欧州の桧舞台に登場した、歴史的な事件だった。
ルマン本来の「フォーミュラレーシングとは異なる、もっと現実的、実際的な自動車にレースの場を…」という理念を尊重し、GTクラスに敢然と挑んだ我がNSX部隊は、総合14、16、19位でフィニッシュ。
初陣ながら3台とも222周以上を走り切り、すべて完走を果たしたという事実がどれほど重いものかは、ここで語るべくもないだろう。
ホンダといえば、F1のエンジンを担当した和光研究所(埼玉)がよく知られているが、ご存知の通り、ホンダには主として車体関係を担当する栃木研究所もある。当然のことながら、優れたエンジンがあっても、それを走らせる優れた車体がなければマシンは完成しない。エンジンだけでなく、サスペンションやブレーキ、土台となるシャシーを愛する者、空気を引き裂くボディに究極の機能美を求める者など、ホンダには様々な研究者たちが、何かのかたちで夢を達成すべく情熱をたぎらせているのだ。
今回のNSXルマンプロジェクトは、その栃木のスタッフが「俺達だって、やれるんだ」という熱い夢と、男の意地が“ふとしたきっかけ”で実現できた物語でもあった。
「自己啓発のために、好きなことを(仕事以外で)やってごらん」という制度がホンダの伝統として存在しているが、そのテーマに、NSXによる本格的な長距離レース挑戦を選んだのが、栃木の数人のスタッフだった。足掛け2年、いわば課外レベルでの活動だった。それが昨年末、クレマーがNSXを選ぶという急展開で、いきなり世界の桧舞台のルマンでその夢を実現することができたのだ。
ルマン・チャレンジを全面的に推進したのは経験豊富なクレマーだったが、優れたハードを供給することで彼らの夢が実を結んだ…。
彼らは、格段の性能を発揮させ総合Vを狙うなら、ダウアーポルシェのように、車体ごと作り替えたスペシャルカーで挑んだほうがずっと楽なのに、そのまま「ホンダが生んだスポーツカーNSX」という優れた素材を活かすことにこだわり、あえて「挑戦する」ことに徹した。そして確実に一歩足をすすめた。
それが“HONDA”の生き方なのだ。だからこそ、NSXのオーナーは、このたびのルマンで同じ夢を共有することができたのだ。


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NSX Press vol.14は1994年8月発行です。