素晴しきルマン








土屋は固辞した。しかし氏の熱心な説得に、ついに狭いNSXのコクピットに納まることとなる。そして意を決してステアリングを握った。が、走り出してから20分後に脚回りに不安を感じてピットインしなればならなかった。素晴らしきメカニックの手で走る力を取り戻したNSXは、ふたたびチェッカーを受けるべくコースに戻った。その様子をじっと見守っていた観客は、NSXがピットロードで加速を開始したと同時にとてつもなく大きな歓声を送った。まさにレースをする側と見る側が一体となっている。氏は、このときも「これがルマンなんだ。このレースの素晴らしさなんだ…」と、心の中でつぶやいた。
その後、土屋の駆るNSXは、他の2台のNSXと同じくルマン・スペシャルのミッションにトラブルが再発。5速ホールドのままのドライブを強いられることになった。
「この5速が壊れれば終わりだ…」。土屋はとてつもない不安に襲われた。しかしそれと同時になんとしてもゴールまでたどり着いてみせるという決意に燃えた。「国さん待ってててくれ」と土屋は心の中でつぶやいた。もう、予選のころの「ルマンだからといって特別な感慨はない」という土屋の思いは失せていた。
ゆっくりと、実にゆっくりとチーム国光のNSXは、最終ラップに入った。そして最後にフィニッシュラインにたどり着いたときには、励ますオフィシャルが伴走できるほどのスピードだった。
ゴールと同時に、プロジェクトを率いたホンダの橋本は、顔をクシャクシャにして泣いた。観客も総立ちの感動劇が展開された。しかし、高橋氏は笑った。深く刻まれた皺に涙はたまっていたかも知れないが、心からの悦びに笑ったのである。
それは、父親がその責務をひとつ果たし終えた悦びのように見えた。ルマンという伝統的なレースに若手を引き連れて乗り込み、その素晴らしさを体験させてやることができた。それも、完走という輝かしい結果を伴って…。
氏はきっとこのとき、日の丸を背負い、世界の舞台で活躍し、頂点に立った2輪ワールドGPレーサーの時代を思い出していたに違いない。レーサーというスポーツマンにとって、国旗を背負い、世界に挑み、勝つことは何よりの栄誉といえよう。高橋氏は、日本で闘う有能な若きドライバーに、本当はその素晴らしさを引き継ぎ、教えたかったのではないだろうか。そう考えたのは、彼も、やはり「親父」にそのことを教えられた一人の若きレーサーであったからだ。


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NSX Press vol.14は1994年8月発行です。