「ルマンは素晴らしいですね…」。これは高橋国光氏の口癖といってもいい。毎年放送されるルマン中継の解説者として、氏は、必ずこの言葉を口にする。とくに大歓声に迎えられて、疲れ切ったマシンがチェッカーを受けはじめる時間になると、その頻度は多くなる。
「いやあ、本当に素晴らしいですね。そうです、これがルマンなんです」
…と、氏の感極まる声を聴き視聴者の感動も高まる。この言葉は、外側からルマンを見て、感動して述べられた言葉ではない。氏は'86〜'90年にかけてチームクレマーからポルシェのドライバーとして参戦。5回、ルマンを経験している。そして'88年には、当時の日本人ドライバーとして最上位の9位完走という輝かしい記録も持っている。
しかし、今年はレーシングスーツを身に纏って氏はその言葉を発した。そう、NSXを駆ってルマンに出場したからだ。氏としては6度目の出場となるが、チーム国光を率いてルマンに参戦するのは今年がはじめてである。もちろん、ともにステアリングを握るチームメイトの土屋圭市、飯田
章はルマンそのものが初体験だ。
1994年ルマンへの出場は、クレマーが'93年暮れにNSXを新たなパートナーとして選んだときに現実となった。チーム国光は、クレマーからルマン仕様のNSXのパッケージ供給を受け、参戦を果たしたのだ。氏は、日本のトップフォーミュラを今も現役で闘う辣腕ドライバーである。しかし、今年のルマンは暑かった。ファーストドライブを終えた高橋氏は大きく肩で息をし、朦朧とした状態でレーシングハーネスから解き放たれた。すぐに点滴、休息を取らなければならない状態だった。
その後、初体験の土屋も飯田も暑さに苦しみ、NSXも苦しみながら素晴らしきルマンを闘い抜いたことはご承知の通りである。
そしてチェッカーまであと2時間と迫った午後2時50分。やっとの思いでNSXをピットに滑り込ませた飯田に代わり、予定通り高橋氏のフィニッシュドライブのときが来た。しかし氏は乗らなかった。「圭ちゃん…」と、土屋の背中を押したのである。高橋氏は、ひとり自らの胸の内だけで、フィニッシュする幸運に恵まれたら圭市に走らせると決めていたのだ。栄光はこれからの者に譲るべきであり、また圭市であればルマンの素晴らしさを持ち前のコミュニケーションパワーで多くの人間に伝えてくれるだろうと考えたからだ。
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