・・ '70年代に入り、めまぐるしく変わるレギュレーション、ターボの浸透などでレーシングスポーツカーの世界は混迷の時代を迎える。結局、1982年にグループCという分類のスポーツカーを主役に立てる大幅な車両規定改革で決着をみた。グループCの燃料規制が、ポルシェの開発していた956の性能を考慮して制定されたという声を裏づけるかのごとく、'88年にジャガーが勝利を得るまでポルシェは7連勝という偉業を成し遂げている。そして'92年まで、復活した名門チームに日本メーカーも加わり、ルマンCカーの時代が築かれる。そうした大きな時代の流れのなかで、地道に闘いを演じたルマン発足の精神を受け継ぐ素朴なスポーツカーを紹介しよう。それは、ポルシェ914/6であり、フェラーリ・デイトナであり、BMW M1である。

そして'93年、ルマンに再びGTカーの時代が帰ってきた。それは、衰退の道をたどるグループCカーに代わり、GTカーを再びルマンの主役に立てようという推進者達の努力の結果だった。その甲斐あって、'92年には28台まで落ち込んだ出場台数が、一挙に51台まで増えたのである。レギュレーション変更直後のため、それほどコンペティティブな闘いにはならなかったが、確実に創成期の興奮がルマンに帰ってきた。この車は、クラス優勝を果たしたジャガーXJ220Cである。

1994年。GTクラスの参加はさらにルマンの注目を高めた。史上最多の83台がエントリーし、50台(補欠10台)が書類選考で予選の挑戦権を得、決勝に進んだ。そのうち、35台がGTクラスからの出走である。まさに夢のルマン復活となった。その中で特筆すべきは、GTクラスに唯一、史上はじめて日本のスポーツカーが選ばれたことである。その車は、ホンダNSX。さまざまなカテゴリーで世界的に名を残したホンダの車が、世界の舞台に再び挑戦を開始した1戦となった。そして初チャレンジにして出走3台中すべてが完走を果たすという、大いなる一歩を踏み出す結果を得た。世界の舞台に立ったこのNSXは、これから日本のスポーツカーの新しい伝統を築いていくに違いない。


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