スポーツカー乗りの頂点

今年のルマンは一滴の雨も降らなかった。青空を背景に見るルマンのコースは陽気な夏の空気があった。これなら完走できるぞ、と感じはじめた。いや、むしろ全知全能を尽くし、NSXをゴールまで導いてやろうという執念が湧き起こった。他の2人のドライバーと話し合い、今抱えている問題点をよく理解しNSXをいたわりながら走り続けたのである。なぜなら、残り6時間あたりからギアが入りにくくなってきたからだ。具体的には、シフトチェンジの回数を減らす。そして、駆動系にストレスを与えないために、エンジンブレーキをなるべく使わないようにした。そのためラップタイムは2分35秒〜40秒くらいまで落ちたが、それはこの際無視した。フィリップも岡田君も気持ちが一つになっていた。とにかくNSXをゴールさせる…と。

なんということだ。あと30分というのにシフトレバーが抜けてしまった。NSXをチェッカーフラッグが振られるまで走らせるという使命を負った僕は、運の無さに嘆きたくなった。しかし、すぐにギアが3速に入ったままの状態であることに気づいた。これなら何とかチェッカーを受けることができる。NSX3台揃っての編隊走行はできなくなったが、とにかくゴールすることが今考えている全てのことであった。このレースは、チェッカーフラッグを自力で受けなければ完走と見なされない。そのためには、最終コーナーであるフォードシケインを過ぎ、コントロールラインの少し手前でクルマを止め、午後4時に振られるチェッカーを待ってもよい。数メートルならクルマを押してでもゴールできるからだ。あと1周を残して、そんなことが頭に浮かんだ。

あと1周。緊張は極限に達した。NSXも3速だけで喘ぎながらスロー走行を敢行している。我々の健闘を賛えてくれる無数のオフィシャルや、観客の姿が目に入った。感動が体をとらえる。しかし、僕はまだ喜んではいなかった。クラッチを失い、シフトレバーが抜けた状態では、ひとたびコース上に止まったら二度と動けなくなるからだ。
チェッカーが見えた。とにかくゴールできたのである。この感動を何よりもまず、46号の愛機NSXと分かち合いたかった。日に焼けたメーターパネルの上を叩き、よく走ってくれたと語りかけた。

このルマンには、何かはかり知れない力が存在している。24時間レースははじめてではないが、これほど全力が奪われ、かわりに溢れんばかりの充足感に満たされたレースを経験したことはない。これぞスポーツカー乗りの頂点の感動である。ルマンは広大な宇宙に地球が存在しているように、人類の自動車社会に生まれるべくして生まれた、神秘的な力を持つ存在なのだ。


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NSX Press vol.14は1994年8月発行です。