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日本編 vol.5 Chapter-1
いつかスポーツカーに乗りたい。
仕事で長年にわたる海外駐在生活を続けていた佐藤信彦さんは、胸の奥底でほのかに、しかし熱くスポーツカーへの夢を子供の頃から抱き続けてきた。
クルマに触れはじめたのは、高校1年の頃。ヒルマン、ダットサン、クラウン、マスターライン、ルノー…。父親が乗り継ぐクルマに憧れの眼差しを注ぎ、コクピットに身を納めた。クルマ好きの父に感謝と尊敬の念を寄せた。
念願のクルマを手にしたのは、結婚されて子供を授かった頃。
佐藤氏とNSX
 
しかし、家族を愛する佐藤さんは当然ながらそのときスポーツカーを選ぶことなど微塵も考えなかった。選ばれたのは、奥様とお子様を乗せ快適に移動できるセダンである。クルマを購入したすぐ後から、アメリカ出張、更にドイツ、スウェーデンなどの海外駐在へ。もちろん家族とともに。駐在先では、現地のクルマに親しんだ。特にドイツでは、高速で走る習慣が身に付き、クルマを走らせる楽しさへの造詣を深めていった。「家庭ができて、3人の子供を育てていく段階で、スポーツカーに乗ることはできませんでしたね。けれどもスポーツカーに乗りたいっていう思いはずっとありました」商社マンとして世界を舞台に、多忙の年月を送られた佐藤さん。各国でさまざまなクルマに親まれたものの、スポーツカーとは縁遠い日々を重ねられた。
 
しかし、30年以上のとき経て、その夢に近づかれた。お子様が1人巣立ち、2人巣立っていかれた。末の愛娘も高校生となり、一緒に出かけることも少なくなった。子供が立派に育ったことへの充足感と少しの寂しさのなかで、佐藤さんは心の片隅にあった夢を膨らませていた。そう、子供の頃からの夢、スポーツカーに乗りたいという夢である。
 
そして、佐藤さんはついに
初のスポーツカーの購入を決意する。
NSX 「最初に購入したスポーツカーは、日産のフェアレディZでした。その当時は日産の通信網を整備する仕事に携わっていたので、新型のフェアレディZの発売を知り、すぐに購入を決意したのです」しかし、その直後NSXが発表された。佐藤さんの所属する会社はHondaの通信網を構築する仕事も手掛けていたため、役員である佐藤さんはNSXの発表会へ招待された。
 
会場でNSXを目の当たりにし、日本初のリアルスポーツカーの誕生に衝撃を受けた。しかし、佐藤さんはクルマを購入した直後である。「もう少し早く知っていれば…」と思いながらも、すぐに乗り換えようとは思わなかった。それは、佐藤さんのフェアレディZが2by2だったからだ。つまり、いざとなれば愛娘を乗せることができるスポーツカーなのだ。NSXの発表会会場では神戸製鋼の元社長、亀高素吉さんにNSXを強く薦められた。

神戸製鋼といえば、HondaとともにNSXのオールアルミボディの開発を手掛けた会社。知り尽くしたNSXの素晴らしさを、友人である佐藤さんに亀高さんは切々と訴えたのだ。「その時は、2シーターのNSXはどんなに素晴らしいクルマでも購入することができませんでした。妻の両親を後ろに乗せてドライブする機会が何度もありましたし、子供と一緒に旅をすることも年に何回かはあったからです。それでも、街でさっそうと走り去っていくNSXを見かける度に、いつも羨ましい気持で眺めていましたよ。いつかはNSXが欲しい、そんな思いをずっと抱いていましたね」
 
そして、フェアレディZを購入してから7年という歳月がたった時、NSXを手に入れる機会は突然訪れた。Hondaの前社長、川本信彦さんとの出会いである。
「仕事の関係から、川本さんと一緒にお食事をする機会があったんです。川本さんと様々なクルマ談議をして盛り上がっていく中で、『佐藤さん、そんなにクルマが好きならうちのNSXを乗ってみなさいよ。NSXはHondaがこれから一生面倒見るクルマだから』と。この言葉が私にNSX購入を決意させてくれました。購入したのは、NSXクーペのAT仕様ですが、想像以上のスポーツカーでしたね」
ここから、佐藤さんのNSXライフははじまっていく。1997年の春のことだった。
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