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そして、佐藤さんはついに
初のスポーツカーの購入を決意する。 |
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「最初に購入したスポーツカーは、日産のフェアレディZでした。その当時は日産の通信網を整備する仕事に携わっていたので、新型のフェアレディZの発売を知り、すぐに購入を決意したのです」しかし、その直後NSXが発表された。佐藤さんの所属する会社はHondaの通信網を構築する仕事も手掛けていたため、役員である佐藤さんはNSXの発表会へ招待された。
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会場でNSXを目の当たりにし、日本初のリアルスポーツカーの誕生に衝撃を受けた。しかし、佐藤さんはクルマを購入した直後である。「もう少し早く知っていれば…」と思いながらも、すぐに乗り換えようとは思わなかった。それは、佐藤さんのフェアレディZが2by2だったからだ。つまり、いざとなれば愛娘を乗せることができるスポーツカーなのだ。NSXの発表会会場では神戸製鋼の元社長、亀高素吉さんにNSXを強く薦められた。
神戸製鋼といえば、HondaとともにNSXのオールアルミボディの開発を手掛けた会社。知り尽くしたNSXの素晴らしさを、友人である佐藤さんに亀高さんは切々と訴えたのだ。「その時は、2シーターのNSXはどんなに素晴らしいクルマでも購入することができませんでした。妻の両親を後ろに乗せてドライブする機会が何度もありましたし、子供と一緒に旅をすることも年に何回かはあったからです。それでも、街でさっそうと走り去っていくNSXを見かける度に、いつも羨ましい気持で眺めていましたよ。いつかはNSXが欲しい、そんな思いをずっと抱いていましたね」 |
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そして、フェアレディZを購入してから7年という歳月がたった時、NSXを手に入れる機会は突然訪れた。Hondaの前社長、川本信彦さんとの出会いである。
「仕事の関係から、川本さんと一緒にお食事をする機会があったんです。川本さんと様々なクルマ談議をして盛り上がっていく中で、『佐藤さん、そんなにクルマが好きならうちのNSXを乗ってみなさいよ。NSXはHondaがこれから一生面倒見るクルマだから』と。この言葉が私にNSX購入を決意させてくれました。購入したのは、NSXクーペのAT仕様ですが、想像以上のスポーツカーでしたね」
ここから、佐藤さんのNSXライフははじまっていく。1997年の春のことだった。 |
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