「マイナンバー」のこだわりと由来
人気選手の「マイナンバー」は、その由来もファンの間で広く知られている。
たとえば、バレンティーノ・ロッシ選手の“46”は、父グラツィアーノ氏の現役時代の番号でもあり、少年時代から使用している。
また、ダニ・ペドロサの“26”は、テレフォニカ・モビスターカップでその才能をアルベルト・プーチに見いだされ、スペイン選手権の参戦時代に与えられた番号だ。同時期にトニー・エリアス選手は“24”を、ケーシー・ストーナー選手は“27”を与えられ、彼らもこれらの番号を現在でもマイナンバーとして愛用している。ちなみに“25”は、現在Moto2クラスに参戦するホアン・オリベ選手のものだった。
アンドレア・ドヴィツィオーゾは、125ccクラスや250ccクラスの参戦時代に尊敬するケビン・シュワンツの“34”を愛用していたが、MotoGPクラスでは“34”が永久欠番とされているため(シュワンツの功績による)、代替的に下一ケタの“4”を使用している。
日本人選手の番号で世界的に有名なのは、故加藤大治郎氏の“74”だろう。これは誕生日の7月4日に由来する数字で、MotoGPでは永久欠番となっている。現役選手ではMoto2に参戦する高橋裕紀選手が7月12日の誕生日にちなんで“72”を使用している。
昨年、第一線を退いた中野真矢の“56”は、漫画『バリバリ伝説(著:しげの秀一)』の主人公に由来するもので、引退まで一貫してこの番号を愛用し続けた。ちなみにコミックの作中で、主人公の巨摩郡(こま・ぐん)はWGP500ccクラスにステップアップ後、この番号を使用する。最終回は、登場人物のセリフが一切ないサイレント映画のようなスタイルで、ゼッケン“56”の巨摩郡が日本人初の最高峰クラスチャンピオンを獲得するレースを劇的に描き出した。
中野が“56”を自らの番号に選んだのは、この巨摩郡のように、日本人初の最高峰クラス王者獲得を念頭に置いたものであったことはいうまでもない。ちなみに、1994年に鈴鹿サーキットで行われた日本GPに故阿部典史氏がワイルドカード参戦し、彗星のように登場した若者がその速さで世界を驚愕させたときのゼッケンも“56”だった。
また、最近のユニークな例としては、富沢祥也選手が、名前の読み「しょうや」にちなんだ“48”を使用している。