東 雅雄という男
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第一章 釣り好きの少年が世界にはばたいていくまでには
スクーター・レースに魅せられて
元世界グランプリ125ccライダー、東雅雄は小学校高学年の時にバスフィッシングと出会った。高知県高知市出身の東の場合、自宅から自転車で約1時間も走れば、格好の釣り場となる池やダムがいくつもあった。週末ともなると、東は友人と連れ立ってバスフィッシングに出かけていたのである。

バスフィッシングというのは、ただ餌を水に垂れているだけの釣とは違って“動”を感じさせる。ルアーを投げて、リールを巻いて、また投げる、というように大きな動きのあるもので、釣れるかどうかは、ルアーの動かし方、つまりテクニックで決まるのだ。友達の中にはよく釣れる者もいた。“この人はなんでこんなによく釣れるのだろう・・・”。東はそんな友達のテクニックを熱心に観察していたという。年上の友達の中には釣り場までバイクやスクーターで来ている者もいた。急な坂道でも楽に登っていくバイクを見て、東はうらやましかった。こうして東は、バスフィッシングを通じてバイクと出会ったのである。 高知県高知市

その後、工業高校に進んだ東は、クラブ活動で自動車部へ入った。隣の徳島県にあるカートコースで行われるバイクのレースにも出場していると聞いて、“これはおもしろそうだ”と選んだのである。その時点で、早生まれの東はまだ15歳だった。自動車部に入った東は、早速同級生と二人でお金を出し合い中古のスクーターを購入した。そして、徳島カートランドで出場した初レースで7位に入った。

スクーターに乗る前から、山道などで自転車に乗っている時でも、友達と競り合うのが好きだった東は、初めてレースに出場してワクワクした。人と競り合い、競り勝った時の喜び。そして、競り負けた時の悔しさ。東はレースの魔力に触れてしまった。また、東は、自分が乗っていたスクーターが古いタイプだったので、新しくて馬力の大きいライバル勢に混じっての7位は上出来だと思っていた。もっと速いバイクに乗れば・・・。東は無意識のうちにそんなことを考えていた。その後、出場したスクーターの耐久レースで3位に入った東は、自分専用のスクーターを購入し、スクーター・レースへの参戦を続けた。

高校を卒業し、自動車メーカーのディーラーに勤務するようになっても、東は趣味でミニバイク・レースへの参戦を続けた。また、休日には、地元の横浪スカイラインなどの峠道を走って、腕を磨いていった。しかし、ある日、友達が峠道で大きな事故を起こしてしまう。その時、現場にいた東は峠道を攻めるのは卒業して、サーキットで思いっきり走ろうと考えた。

当初はストリートバイクのHonda NSR250を四国の阿讃サーキットや岡山県の中山サーキットに持ち込んで走っていた東だが、そのうちレーサーの125ccが欲しくなった。身体があまり大きくないので、250ccより125ccの方が自分に合っていると考えたのである。125ccとはいえ、レーサーは高い。75万円以上するHonda RS125を新車で購入するために、東は必死で貯金をした。サーキット走行も我慢し、食べる物も切り詰めて半年間お金をため、1991年末に、‘92年型のRS125を注文したのだった。 Honda RS125
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