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先人の熱い情熱を感じたRC181。
 続いてRC181。これは、500ccの空冷4サイクル4気筒DOHCエンジンを搭載したビッグマシン。小型車で培ったHondaの高回転・高出力の特性を活かし、他を圧倒するパワーで1966年のデビュー戦を優勝。その年のメーカータイトルを獲得。翌1967年は、マイク・ヘイルウッドの頑張りで10戦中5勝を挙げながら、僅差でライダー&メーカータイトル2位となった。マン島TTレースは、やはりマイク・ヘイルウッドが乗り優勝を飾った。最高出力は、85馬力以上/12000rpm、最大トルクは5.23kgm/10000rpm。

RC181
 「これはでかいですよ。乗ると非常に手ごたえがある」と、宮城はRC181について切り出した。
 「エンジンフィーリングで言うと、シングルカムのCB750みたいですよね。K0とかK1の時代です。そのCB750で、上があと2500回転ぐらい回るようになった感じですわ」
 もちろん、エンジンを掛けると6000回転ぐらいで回るが、そこからクラッチをつないで走らせるフィーリングは、まったく普通のバイクのようなものだという。シングルカムのCB750のように、気持ちよく吹け上がっていく。重厚感があってトルクフルなエンジン。
 「この時代のバイクとしてはめずらしく、サーキットを周回している途中でウイリーできるくらいトルクフルですね」
 これまで小型のバイクしか手掛けていなかったHondaとしては、はじめての大型バイクへの挑戦となった。市販車とレーサーでは別物だが、直列4気筒ということで言えば、Hondaが世界に先駆けて登場させた“ナナハン” CB750へとつながる、Hondaとしてはじめての大排気量エンジンだ。

 そして、歴史にも語られている通り、RC181はエンジンパワーがシャシー性能に勝ったマシンであると宮城は語った。
 「166など6気筒のミドルクラスは、エンジンと車体のバランスが素晴らしいんですよ。何かが遅れるとかいうことがないんですけども。このRC181に関しては、はじめての500ccクラスで、エンジンパワーありきだったのかもしれません。シャシーの剛性感が足りていないなと感じましたね」
 しかし、マイク・ヘイルウッドはこのマシンでチャンピオン争いを演じ、マン島TTレースでは勝っている。
 「この時代の他のオートバイの性能がどうかわかりませんけど、すごいことですよ。このマシンで勝つというのは。タンクも大きいですし、これ身長が180cmくらいある僕でもポジションきついですから」
 「ライダーもそうですけど、Hondaの人たちもすごいですね。60年代でしょ?1ドル360円でしたっけ?飛行機もそんなに飛んでない時代で、物もたくさん持って行けないしね。ましてピット環境も整っていない。昔の写真見たら、木の下でエンジン乗せ替えとかやっている。
その中でマシンを維持管理して、ライダーが安心して走れる状態まで持っていってたことがすごいですよね。6気筒だったら、キャブいじるのも6つですよ。それを3台走らせていたら、18個のキャブをバラして組み上げて・・・。
これはもう情熱の塊やと思うんですよね。熱いですよね、Hondaの人たちはやっぱり。その意地と情熱があったから、今のHondaがあるんでしょうね。
だからヨーロッパはもちろん、世界中にファンがいる。特に年輩の方にファンが多いっていうのは、この時代に苦労していたHondaマンを見たからでしょうね」
 そういって宮城は、自ら持参した60年代のHondaの二輪レース写真集に見入った。そして、感慨深げにため息をつくと「さっ、次いきましょか?」と言って我々を促した。

 宮城光の「Honda歴代ロードレーサーの鼓動」次回はHonda空冷時代のラストとして、彼の中学時代の思い出のマシン、RCB1000をご紹介します。
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