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Honda Racing to TOP
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まず興奮覚めやらぬRC211Vについて。そしてRC149。
 宮城光は人との出会いに恵まれている。
 オートバイで走るのが好きで、サーキットに行き練習をしていたら「お前、なんか速いなあ。うちのマフラー付けてくれ」などとよく声をかけられた。そしてプライベートチームに誘われ、Hondaのマシンに乗ってレースデビュー。その年にいきなり全日本選手権チャンピオンになってしまう。
 2年連続でチャンピオンをとった後、手首の故障を経て復帰した宮城をHRC(Hondaの二輪レースを専門に担当する会社)が抜擢。自分でも信じられないことに、Hondaのワークスライダーになった。夢のワークスライダーとなった宮城は、NSR500に乗り、全日本GPのトップライダーとなる。しかし、不慮の事故で両足を骨折し4年目のシーズン後半を欠場。当然ながらワークスライダーの権利を失う。
 それでもオートバイレースのことが忘れられず、アメリカに渡り挫折から立ち上がろうとする宮城を、Hondaの面々が応援してくれたのだ。彼らの熱いバックアップにより、宮城は全米選手権スーパーバイク650ccクラスとスーパースポーツ600ccクラスに挑み、参戦初年度に両カテゴリーでチャンピオンをとることができた。
 「Hondaの人はあったかいですね。ほんと感謝してますよ。挫折もありましたけど、めちゃくちゃ恵まれたと思いますわ」

 1998年、アメリカから帰って来た宮城にHondaは再び声を掛ける。その年の鈴鹿8耐のパレードランで、ライダーを務めてくれないかと。
 「8耐に出場するライダーは、レースがメインでしょ?だから、パレードに参加する、ちょっと年式の古いクルマを走らせる余裕がないということで、たまたまアメリカから帰っていた僕に声かけてもらったんです。これが僕にとって大きな転機になりましたね」
 こうして宮城の歴代Hondaレーサーの動態確認(レストアの仕上げとして、実際に走らせて状態を確認する)の仕事がはじまったのだ。
 「レース中もテストの時も、僕は走行中にエンジンのトラブルなどではほとんど転倒したことがないんです。ちゃんとクラッチを切って止まる。一度ミッションがスタックして、どうしようもなくて転んだことありますけど」
 極限の性能を引き出すレーシングエンジンは、トラブルが起る可能性が高い。時として、瞬時にリアタイヤがロックして二輪は簡単に転倒してしまうこともあるのだ。宮城は長いレースキャリアを持ちながら、エンジンの状態を察知して即座にクラッチを切るため、唯一の転倒はミッションがスタックしたときだけであった。レストアマシンを扱う繊細さを、宮城は素質として持っていたのだ。
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