トライアル2007

――今ふり返ってみても、04年にツインリンクもてぎで行われた世界選手権「ウイダー日本グランプリ」で、小川選手が新型4ストローク・マシンでいきなり2日間とも9位入賞したのは衝撃的なデビューでしたね。

小川:「あのときは、Montesa Hondaに入って1年目のボウと同じような感じで、とにかく2ストロークと4ストロークの違いに慣れるのに必死でしたね。しかも、僕の場合はレースが始まる前に乗り込むということが無かったですから。本当に、大会中に乗り込むような感じでしたから。なにしろ慣れるのに必死で、そういう方向に集中していたから、結果としていい走りができたのではないかと思います」

――小川選手の目から見て、藤波選手やボウ選手の最も優れているところは?

小川:「藤波選手はもう皆さんご存じのとおり、誰が見ても『これはもう無理だろう』という状態でバイクが暴れても、そこで修正しながらバイクを前に行かせるというリカバリーが、たぶん一番うまいです。本当に。普通はちょっと乱れたら、乱れた方に身体を持っていかれたりして、一瞬スピードダウンするものですが。藤波選手は乱れた瞬時に元に戻って、そのままバイクをグリップさせて走らせていく、それはもうダントツのうまさです。

ボウ選手の場合は正反対に、乱れにくいところがあって、大きな段差とかは特に余裕で上がります。誰よりも乗り方が“丁寧”ですね。一つひとつの動きが丁寧です。たとえばリアタイヤを浮かせて横に振る場合にも、3くらいの力で振れるところを、ボウは10の力を出して振っていますね。だから乱れないし、最終的に結果が出るのだと思います。そういう力がありますね」

――小川選手自身のライディングは「芸術的な、流れるような走り」と言われています。その点について、自分ではどう思っていますか?

小川:「自分ではそうは思っていなくて、人から言われるまでは分からなかったですね。人と違うライディングをしているとは思わなかったです。自分の走りは、自分が目標とするライダーによって決まると思います。僕の場合は、ジョルディ・タレス選手や成田匠選手を見て育ち、彼らが目標でした。彼らのライディングを真似をするわけではないですが、参考にして自分なりにプラスアルファしていくことで、それが自分のスタイルになったと思います」

――小川選手が2ストロークから4ストロークにバイクを乗り換えたときは、エンジン特性の違いにとまどうこともあったのではないかと思います。どのようにして乗りこなしたのですか?

小川:「新型4ストローク・マシンのデビュー当初は有り余るようなパワーがあったので、その力をいかにして逃がすかというライディングになりました。身体のアクションもそうですし、当初はセッティングのノウハウも無かったですから。それからどんどん煮詰めていったわけです。当初から力もあってよかったのですが、大会などで乗り込んでいくうちに、『ここが気になる、あれが気になる』というところがあったので、たとえば大会中はパワーを出し過ぎないようにクラッチで逃がしたりするなどしていました。パワーがありすぎてギクシャクする部分もあったので、そのあたりをセッティングで修正しました」

小川友幸選手

――現在はHondaだけが採用しているフューエル・インジェクション(燃料噴射)ですが、その一番いいところはどう感じていますか?

小川:「一番大きかったのは、4ストロークのパワフルさを残しつつ、2ストロークのような低回転でのスムーズさを出したことです。あとは軽量化をして、バイクをどんどん軽くしていったことですね。この2点がバイクを作っていく上でのポイントになったと思います。

インジェクションの一番いいところは、セッティングがばらつかないことですね。常に同じ状態を保つことができる。たとえば川を横切るセクションなどで水の中に入ったりすると、キャブレターの場合は温度が下がって調子が変わります。そういうことが一切無いですからね。それが大きいのと、どのポイントでも“遅れ”が無いこと。自分がスロットルを開けたときに、ちょっとでもロスがあると、それに合わせたライディングになってしまうので。そのあたりのロスがインジェクションでは無く、意のままに操ることができます。

セッティングの幅についても、すごく細かいところまでできる。以前は大まかにセッティングしていたところも、たとえば下の下寄りとか下の中寄りとか、微調整がすべてできる。ライダーのレベルが高いほど、よりシビアなセッティングになり大変ですが、ピタリと出せば大きな武器になるわけです」

Honda RTL260F

――藤波選手とボウ選手のワークスマシンで07年から採用され、08年モデルの市販車RTL260Fにも導入された「クランクケース・ブリージングジェット(※)」の効果は大きかったと思いますか? (※注:クランクケースにブリージングジェット(空気穴)を追加。この空気穴がオイルの排出性を向上させてフリクションを低減し、より穏やかな特性を生む)

小川:「正直に言えば、最初は『そんなに変わるものだろうか』と思っていましたが、乗ってみたら『こんな小さな穴でこんなに変わるのか』と驚きました。それまでセッティングで苦労していたところが、一気に解決することにもなりました。コンピューターでするセッティングだけではなくて、そういうところでもすごく効果がありました。ビックリしましたね」

――ボウ選手は、サスペンションの安定した性能を高く評価していました。当初は高い段差の上りに対して、あまり高くは飛ばないようなイメージもあった4ストローク・マシンでしたが、ボウ選手は4ストロークでも軽々と高く飛んで高い段差を上がって見せました。

小川:「まずひとついえるのは、当初は“飛ばない”ということでしたが、2ストロークと4ストロークは、ステアケース(段差)の行き方が違います。高い段差を上がる場合に、後輪が段差の壁に当たってから走るような部分については4ストロークの方がよかった、ということです。“飛ぶ”だけのサスを作るのは簡単なのですが、バネっぽいサスになります。それで、4ストのいいところを残しつつ、“飛ぶ”ようにしていくことをここ何年かやってきて、僕も一日中段差の上りだけをテストしたこともありました。そうして、“飛ぶ”だけではなく後輪が当たってから走る今のバイクが出来上がったので、ほかのバイクに対しても全然遜色ないと思います」

――より大きく“飛ぶ”ためには、何が必要ですか?

小川:「バイクの動きやタイミングを操る能力、あとは身体の力が必要ですね。その3つを全て同時にコントロールできないと、大きくは飛べませんね。しかもライダーによって動き方は違ってきますから、そのライダーの動きに合ったサスが必要になります。たとえばボウ選手が飛ぶからといって、ボウ選手と同じサスが藤波選手にも合うかといえば、それは違います。ライダーそれぞれの動きで、大きく飛ぶための力を溜める、その動き方に合うサスが必要なのです」

――高さのあるセクションに挑むときには、ケガへの不安もあるのではないかと思います。たとえば全日本のセクションの難易度は、小川選手が普段練習しているセクションの難易度と比べるとどうですか?

小川:「スポーツにケガはつきものですね。全日本のセクションは、自分が普段練習している50%くらいの難易度です。たまにすごく難しいセクションもありますが、セクションの難しさよりも、精神的なものが大きいと思います。でも、スペシャルセクションとかで高さが上がってくると、落ちた場合にケガをする確率は高くなると思います」

――小川選手は07年の10月4日に31歳になりましたが、18、19歳頃に世界選手権に参戦していたときよりもうまくなっているという実感はありますか?

小川:「あります。“究極のキレ”とかいう部分では、たぶん昔の方がキレがあると思いますが。やっぱり、練習していても、今が一番うまくなっていると感じています。当然技量は上がっていますし、技量とメンタルな部分の兼ね合いについても07年はトータルで上達している感覚がこれまでで一番ありました。それが結果にも出たと思います」

Montesa COTA 4RT

――07年の全日本シリーズ戦を今ふり返ってみると、どのように思いますか?

小川:「07年は、開幕戦に続いて第2戦でも勝つことができて、序盤戦からうまく調子を上げていくことができました。健ちゃん(黒山選手)が2戦とも3位だったので、序盤戦から10ポイント差が開きましたが、まだまだタイトルは意識せずにチャレンジすることだけを考えていました。第3戦と第4戦は勝てませんでしたが、勝てないときでも2位を取り続けることができたので不安は無かったし、タイトル争いでは僕がまだ4ポイントリードしていましたからね。

一番大きな勝負どころになったのは、第5戦北海道大会でした。プレッシャーがかかる大会で、神経戦を制したことが大きかった。特に2ラップ目と3ラップ目をオールクリーンして、後半戦に向けての自信がつきました。第6戦は2位でしたが、第7戦でシーズン4勝目を挙げることができたので、最終戦は地元中部で5勝目を飾りたいと思っていました。

レースは最後まで何があるか分からないので、ゴールして採点カードを提出するまで気は抜けませんでしたが、応援してくれる地元の皆さんの前で勝ってタイトルを決めることができて本当にうれしかったですね。あれだけ長く10年以上も苦しんでチャンピオンを取ったのは初めてでしたから。チャンピオンTシャツを着てみて、“1番”の重みを感じました。

07年は勝負がかかったセクションや、勝負どころの大会を逃さなかった。それを一年を通じてできたことが“1番”につながったと思います。地元のファンやチームのメンバーがすごく騒いでくれたことが、今でも本当にうれしいです。ああいう喜びを、今年もまた味わいたいですね」

――07年のトライアル・デ・ナシオン(国別対抗世界選手権)では、藤波選手や黒山選手、野崎選手とともに小川選手が活躍して、日本代表チームが世界2位を獲得しました。また、07年の世界選手権「ウイダー日本グランプリ」では8位&9位となった小川選手が「4位くらいまでは狙えると思う」と語っていたのが印象的でした。08年の日本GPやデ・ナシオンでも、小川選手の活躍を期待したいと思います。テストライダーとしてバイクに乗り込むことで、ライダーとしての幅も広がったのではないかと思いますが?

小川:「そうですね。ボウとラガ、藤波のトップ3以外は、争えない相手ではないと思います。デ・ナシオンでは現地で借りたバイクに乗って日本チームの2位獲得に貢献することができたと思うので、バイクに対する適応能力はたぶん誰よりもあるのではないかと思います。

でも、自分のバイクで練習ができないというのは、最初はすごく不安でしたね。07年の全日本第1戦もバイクのテストをしてからそのまま大会に入ったので、自分の力を出せるかどうか不安な部分もありました。それでも勝つことができましたし、そういう形で1年間やってきてライダーとしての幅が広くなったとは思います」

小川友幸選手

――小川選手の全日本チャンピオン獲得は、Hondaとしては01年の藤波選手以来、6年ぶりのタイトル奪還となりました。また、小川選手がHondaの4ストロークバイクでチャンピオンになったことは、山本昌也選手以来21年ぶりの快挙でした。山本選手は82年から86年まで5年連続チャンピオンを獲得しました。当時の4ストロークとの違いは、何が一番大きいと思いますか?

小川:「昔の4ストロークには乗ったことがありますが、その印象は『とにかく前に進まない』ということですね。エンジンの回転は上がっているのですが、バイクが全然前に進まないような感じで、そこがまるで違うと思いました。今のバイクは、逆にどんどん前に進んでいきますからね。ほかには、バイクの重さが大きく違いますね」

――将来については、どのような夢や計画がありますか?

小川:「僕はやはり、できる限りはバイクを作っていく仕事にたずさわりたいですね。もっとああしたい、こうしたいと、バイク作りではまだまだやりたいことがあるので。バイク作りに終わりはないと思います。その時代に応じたベストなバイクを作っていきたいと思います。

でも、それだけではいろいろな面で難しいと思うので、そのときに自分のできることをすべてしたいです。現在のようにバイク作りだけではなくてレースもやって、スクールやデモンストレーションもやって。それらをできるかぎり中途半端にならないように全部やっていきたいと思います。というのも今、スクールをやっているおかげで初心者の方のコメントを聞くこともでき、それをバイク作りに生かせることもあるのです。また、デモを見た人が大会も見に来てくれたりして、大会の運営などについても勉強できる。そういう点ではすべてにたずさわっておいた方がいろいろなことができると思うので」

――08年のボウ選手や藤波選手に何を望みますか?

小川:「ボウ選手に関しては、2年目からが勝負だと思いますね。1年目は気持ちも新鮮でバイクに慣れるのに必死で結果もよかったし、パーフェクトに近い状態だったのではないかなと思います。でも、08年はそうはいかないと思いますね。やはりバイクにも慣れてきて、バイクに対しての要求も高まってくると思いますし、そこに精神がいくとライディングにも影響してくると思います。それに対して、僕はできるだけ彼の要求に応えられるバイクを作って、いいライディングができるようにすることを心がけます。ボウ選手自身も自分のライディングだけに集中して、今ある自信を保つようにして欲しいと思います。

藤波選手は、とにかくもう1度、自分の走りに戻ってほしいですね。セッティングから何からすべてを、自分は自分の走りで。なにしろ世界チャンピオンを取ったことがある男なんですから。もう一度取れないわけはないし。当然、チャンピオン争いができるライダーだと思います。ライディングが急に落ちているわけではなくて、考え方一つで変わると思いますから。08年は変わって欲しいし、その結果としてボウ選手と藤波選手の2人がチーム内で争ってくれれば、と思っています」

小川友幸選手

――最後に小川選手の、2連覇に掛ける意気込みは?

小川:「ひとことで言えば“チャレンジ”です。ゼッケン1番を取ったことは忘れて、今年も昨年のように攻めたいですね。タイトルを防衛するという考えは一切無いです。昨年は全8戦を通して、どの試合も攻めることができました。それと同じように挑戦する気持ちで挑むつもりです。参戦体制やコンディションを整えることができれば、十分に戦える位置にいると思いますし、2年連続チャンピオンを取る自信はあります」

小川友幸選手

小川友幸&RTL260F
デビューから全日本チャンピオン獲得までの記録


◆ 2004年 世界選手権第3戦ウイダー日本グランプリ 1日目9位/2日目9位

◆2005年 全日本トライアル選手権ランキング3位

第1戦 関東大会 6位
第2戦 九州大会 3位
第3戦 関東新潟大会(中止)  
第4戦 近畿大会 3位
第5戦 中国大会 3位
第6戦 北海道大会 2位
第7戦 中部大会 3位
第8戦 東北大会 5位

◆ 2006年 全日本トライアル選手権ランキング2位

第1戦 関東大会 3位
第2戦 九州大会 4位
第3戦 関東新潟大会 優勝
第4戦 近畿大会 優勝
第5戦 北海道大会 優勝
第6戦 中国大会 3位
第7戦 中部大会 2位
第8戦 東北大会 3位

◆ 2007年 全日本トライアル選手権チャンピオン

第1戦 関東大会 優勝
第2戦 九州大会 優勝
第3戦 関東新潟大会 2位
第4戦 近畿大会 2位
第5戦 北海道大会 優勝
第6戦 東北大会 2位
第7戦 中国大会 優勝
第8戦 中部大会 優勝


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