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鈴鹿1000km Honda GTマシン 闘いの軌跡鈴鹿1000km Honda GTマシン 闘いの軌跡

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― 真夏の鈴鹿サーキット1000kmを、走り抜く ―

日本を代表するこの耐久レースは、1994年の初代NSX初優勝に始まる9度の栄冠や、
2014年NSX CONCEPT-GTデビューなど、Honda GTマシンの進化の歴史であり、
Hondaが挑み続けるモータースポーツの歴史そのものだ。
2017年夏、今季で幕を閉じるこの伝統の舞台にNSX-GTが参戦。NSX-GTのさらなる飛躍によって、
1000kmの闘いの終焉に、新たな歴史が刻まれる。

1994

Honda NSXがGT2を制し、クラス初優勝を掴んだ記念すべき23回大会

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1st Win

1995

「チーム国光」のHONDA NSXが総合5位入賞。2年連続のクラス優勝を奪取

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2nd Win

1999

2台のNSXがフロントローを独占し挑んだ決勝レース。4年ぶりとなる栄冠に輝く

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3rd Win

2000

「TAKATA無限×童夢NSX」が2000年モデルで参戦。決勝レースでトップを独走し、2度目の連覇

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4th Win

2003

首位「Regain童夢NSX」、2位「G’ZOX-NSX」。Honda初のワンツーフィニッシュ

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5th Win

2004

「TAKATA童夢NSX」「RAYBRIG NSX」が躍動。2年連続で手にしたワンツーフィニッシュ

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6th Win

2008

5台のNSXが参戦。ピットスタートから挽回し、2位入賞を果たした「RAYBRIG NSX」

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ピット
スタートからの2位

2010

700kmに短縮されて開催。NSX GTの後継車「HSV-010 GT」がもたらした、通算7度目の栄冠

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7th Win

2013

116周目にトップに躍り出ると、そのままフィニッシュ。通算9勝を成し遂げた「ウイダー モデューロ HSV-010」

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9th Win

2016

5台の「NSX CONCEPT-GT」が出走。ポールポジションを勝ち取った「ドラゴ モデューロ NSX CONCEPT-GT」

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鮮烈のポールポジション

― Hondaと鈴鹿1000kmの歩み ―

Hondaの独創的な製品は、その多くがモータースポーツを背景に誕生したといっても過言ではない。

いまから60年以上も前の1954年、当時世界最高峰の2輪レースだったマン島TTレースに日本メーカーとして初めて参戦することを宣言したのも、モータースポーツで世界の頂点にチャレンジすることで海外の強豪メーカーを凌ぐ技術力を養い、他に例のない独創的な製品を生み出そうとする創業者、本田宗一郎の情熱に突き動かされた結果だった。

そのマン島TTレースでは、参戦初年度の1959年には125ccクラスに4台が出場して全車完走を果たし、望外ともいえるチーム賞を獲得。125ccクラスにくわえて250ccクラスにも挑んだ2年目は125ccクラスが2、3、6位で250ccクラスが4位。そして3年目には125ccクラスと250ccクラスの両方で1-2-3フィニッシュを達成。Hondaはわずか3年間で世界の頂点に立ったわけで、この技術開発のスピード感こそ本田宗一郎がモータースポーツに挑戦した理由のひとつだったといえる。

こうしてモータースポーツ活動の手応えを確かに掴み取った本田宗一郎は、次の一手として自前のサーキット建設に動き出す。「オレはサーキットが欲しいんだ。レースをやらなければクルマはよくならない」 本田宗一郎のこの強い思いを受けて、三重県鈴鹿市に工場建設用として購入した21万坪もの広大な土地の一部に、日本初の本格的なレーシングコースが誕生することになる。さらに本田宗一郎は「クルマの性能アップのためにはヨーロッパタイプのテクニカルなものがいい」と主張。こうして1962年に完成したのが、基本レイアウトは現在とほとんど変わらない全長6.004kmの鈴鹿サーキットだった。

その後を追うようにして、1965年には小牧・西宮間に名神高速道路が開通。まだつぼみが膨らみかけたばかりだった日本のモータリゼーションは、ここで一気に高速連続走行性能という新たな課題に立ち向かうことになる。これを受けて、鈴鹿サーキットでは1966年に500kmと1000kmというふたつの耐久レースを開催。自動車の高速性能や耐久性に磨きをかけるための役割を果たそうとした。これが、いまに続く鈴鹿1000kmの始まりだったのである。

以来、およそ半世紀。いまや1000kmの高速走行は軽自動車でさえ難しくなくなったが、そのいっぽうで、Hondaはただ1000kmを走りきれる製品を作るだけでなく、より快適で、より広く、より安全で、より楽しく、より環境負担の小さなクルマ作りに励んできた。

また、Hondaはサーキットを技術の実験場として用いるだけでなく、エンジニアを成長に導く場としても活用。独創的なアイデアを短期間で実用化し、世界最高峰の性能を達成する経験を積み重ねることで、そのノウハウを量産車開発にも応用する道筋を作り上げた。つまり、鈴鹿サーキットはHondaのよりよい製品作りを支えてきただけでなく、Hondaのエンジニアたちをも鍛え上げてきたのだ。

こうして52年間の長きにわたってHondaのクルマ作りに大きく貢献してきた鈴鹿1000kmが幕を閉じ、2018年からは鈴鹿10時間耐久レースとして再出発を果たすことが決まった。果たして“最後の1000km”ではどんな熱戦が繰り広げられるのだろうか。

Hondaのモータースポーツへの挑戦はこれからも続く。

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