ドライバーはステアリングの操作で車両の進路を管理し、アクセルペダルとブレーキペダルの操作で速度を管理している。その操作の元になるのは目で捉えた情報だ。いくら能力の高いレーシングドライバーといえども、目隠しをした途端、何もできなくなってしまう。それほど、視界は大切だ。ところがレース中は、その視界を奪う物が飛んでくる。雨粒など序の口で、砂や泥、先行車が噴いたオイルにタイヤかす、ときには部品が飛んでくる。走行中に遭遇するさまざまな物から視界を守り、安全性を確保するため、フロントウインドウには保護フイルムが貼ってある。また、一部車両はボディを保護する目的で、ウインドウ用とは材質の異なるフイルムを貼っている。
ボディに貼るフイルムは、突起物を押しつけてもなかなか貫通しないほど柔軟性が高い。この高い柔軟性が保護性能のヒミツ。
テアオフには剥がしやすいよう角につまみを兼ねたラベルが貼ってあり、ピットストップの際、番号の若い順に剥がしていく。
エプソン・ナカジマレーシングの車両を例に説明していこう。フロントウインドウには、ウインドウを保護する目的でポリエステル製の透明フイルムが貼られている。ウインドウに貼る際はフイルムの持つ「熱すると縮む性質」を利用するが、縮みしろを計算しながら曲面形状に合わせて施工する必要があるため、ノウハウが必要だ。もともとは飛び石対策として市販車用に開発されたもので、厚さは約0.1mmと非常に薄い。
市販車の場合、飛び石に遭遇する確率は低いが、SUPER GTの場合は飛び石(だけでなくいろいろな物が飛んでくる)の中を走っているようなもの。そのため、フイルムを2枚重ねて貼り、保護性能を高めている。さらのその上に、テアオフと呼ぶ薄いフイルムを6枚重ねている。テアオフは視界を確保するのが目的で、オイルや泥が付着して汚れたら、最上層の1枚を剥がして視界をクリアにする。スマホの保護フイルムと同様、パリパリした素材感だ。通常のレースではテアオフを1~2枚消費する。給油やタイヤ交換を行うピットストップ時に剥がすが、同時に作業できるメカニックの数は規則で制限されているため、ロスタイムを最小限にとどめるためにも、どのタイミングで誰が剥がすかといった作業手順が重要だ。
ダメージを受けやすいフロントセクションには、ポリウレタン製の透明フイルムを貼っている。ポリウレタンは柔軟性が高いため、表面の小傷程度なら熱すれば元どおりになるのが特徴。ボディに施したカラーリングの保護にもなり、きれいに保つ効果も大きい。フイルムを剥がしたときにカラーリング用のカッティングシートを傷めないのも、チームの負担を軽くする。衝突した際のボディワークの破損を低減する効果も大きく、過去には大きく破損して走行不能に陥るようなアクシデントでも、自走してピットに戻れる程度にダメージを軽減できた事例があったという。フイルムのおかげで命拾いをしたわけだ。
フイルムの施工はシーズン開幕直前に実施。まず、実車を正確にトレースしてデジタルデータ化。そのデータをもとに専用のカッティングマシンでフイルムをカットし、貼り付けていく。熱で縮むウインドウ用フイルムとは逆に、ボディ用のフイルムは熱で伸びる。曲面の処理にはとくに高度な技術が必要だ。かつてはヘリテープと呼ぶ細幅の透明テープでボディを保護していた時期もあった。だが、縞模様になってしまうのに加え、すぐに変色して見栄えが悪くなる難があった。現在のフイルムは、施工した本人でさえ注意深く見てもわからないほどクリアだ。
破損を防ぐ狙いから、フロントウインドウにフイルムを貼ることは以前から行われていた。だが、フイルムの透明度が低く、景色がゆがんで見えるのが問題だった。現在のフイルムは重ね貼りしても視界の邪魔をしない。クリアな視界は精度の高いドライビングに役立つのに加え、ドライバーの疲労を軽減する効果が大きい。ボディを保護するためにフイルムを貼るのは少数派だが、ダメージを軽減するだけでなく、カラーリングを美しく保つ効果もある。