瀧の指示を受けた若手エンジニアたちはNSX-GTのフロントにフォーミュラ・ニッポンのV8エンジンを移植し、持てる力を尽くして、ゼロからまったく新しいレーシングカーのプロトタイプをつくりあげた。
結果は、瀧の「思惑通り」だったとも言える。若きエンジニアたちは、かつて経験しなかった数多くの壁に直面することになったのだ。
常に限界域で走行し、頻繁にエンジンのメンテナンスを行う必要があるレーシングマシンにとって、「エンジンの載せ降ろしのしやすさ」は「速く走る」という以前に当然備えているべき「基本中の基本」である。にもかかわらず、このプロトタイプは6時間半もの時間をかけなければエンジンを載せ替えることすらできなかったのだ。何が問題だったのか。瀧はこう振り返る。
「性能ばかりを考えてつくってしまった結果ですね。フロントにエンジンがあるということは、エンジンを降ろそうとしたとき、ラジエーターをはじめ、あらゆるものを取り外さないといけないんですね。彼らは、ミッドシップのレーシングカーをつくった経験しかなかったので、そういうところを見落としてしまったというのが大きな問題だったのです」
つまり、この「失敗」の理由は「誰もが性能だけを第一に考えてクルマをつくった」ことにある。誰よりも速く走ることを目的としてつくられるレーシングカーは、エンジン、ボディ、サスペンションなど、あらゆるパーツの性能を極限まで突き詰めることが第一………ではない。
量産車と同じく、『クルマ全体を見て一緒に伸ばす』ことができなければ、速さを競う前に、スターティンググリッドにたどり着くことすらできないのだ。
「自分で考えないことには進歩しないですよね。失敗させるというのが本人にとっては一番勉強になるし、結果的に良いものが出てくると思うんです。時間はかかってしまいますけど。私が全部指示して作ったら、私のレベルで止まっちゃうということです」
瀧は、自らの姿勢を「基本的には放し飼い」だと笑う。
そんな瀧が開発チームに与えたヒントはひとつ。
──「コーナリング中のフレームのねじれ方にこだわれ」──。
「自分の専門分野を極めたい、というのはエンジニアにとって当然の欲求なのですが、『速さと扱いやすい高性能を両立させるためには、我慢をしなければならないこともある』という柔軟な考え方をさせたかったのです。フレームには、さまざまなパーツが取り付けられることになりますから、たとえば、サスペンションの担当者は、自分の担当する部分の性能を突き詰めるだけでなく、『フレームのこの部分にサスペンションを取り付けて、本当に大丈夫なのだろうか?』と考えるようになりますよね。この考え方こそが『扱い易い高性能を技術で創る』というHSV-010 GTのコンセプトを実現させるものなのです」
そんな瀧のもと、数々の「失敗」によって、身を以て『クルマ全体を見て一緒に伸ばす』ということを知った開発チームは、明らかに大きく成長を遂げたという。
「特にレーシングマシンの『命』とも言えるフレームは、私の中でひとつの到達点でもあった、2007年のNSX-GTのフレームの考え方を受け継ぎながら、HSV-010 GTのために進化させたもの。本当にすばらしいものができたと自信を持っています」
Hondaの新たなレーシングマシン「HSV-010 GT」。
躍動感ある力強さをたたえたその姿の奥には、若きエンジニアたちが開発責任者から受け継いだ「クルマづくりのポリシー」、そしてHondaの原点であり、今も変わらぬ「勝利への強い想い」が込められているのである。
車名にある「V」が「Velocity」──「方向性を持った速さ」を意味するように、Hondaはチーム、ドライバー、エンジニアが一丸となりSUPER GTでの勝利をめざしていく。