HONDA The Power of Dreams

　ジェンソン・バトンが初めてシルバーストーンを走ったのは1993年、13歳のときだった。当時のジェンソンは、カートの国内選手権に参戦中。その２年前の英国カデット・カート選手権では34戦のレースに全勝してタイトルを獲得するという、衝撃的なデビューを飾っていた。
　この年93年も最終的にチャンピオンになったが、初めて走ったシルバーストーンで勝ったかどうかは、「実はまったく覚えてないんだ」と、本人は笑う。
　「父の運転するキャンピングカーに乗ってサーキットまで来たんだけど、例によってシルバーストーンは雨が降っててね。道がぬかるんでいて、進むのにひどく苦労した。そのことだけが、記憶に残ってるよ」
　それから14年。F１のトップドライバーの一人となったジェンソンは、これまで数え切れないほどシルバーストーンを走ってきた。その間にフォーミュラ・フォード、フォーミュラ3と、順調にステップアップを重ねていく。シルバーストーンはレーシングドライバーとしてのジェンソンを、育て上げたサーキットといってもいいだろう。
　そして2000年に20歳でF１デビューを果たしてからは、ジェンソンにとってシルバーストーンは、イギリスGPの舞台というもうひとつの特別な意味が加わった。もちろんF１ドライバーとしては、たとえ自国GPといえども、他の16戦のレースを走るのと基本的には変わらない。
　「そう。レースを戦うという点ではね。同じように全力を尽くすし、最高の結果を出したいと思っている。でもそうはいってもやっぱり、自分の国で走るのは特別のことだよね。そうでなくても例年、イギリスGPはものすごく盛り上がるし、スポンサーがらみのイベントもたくさんある。それが今年はイギリス人ドライバーが4人もいるし、ルイス・ハミルトンはタイトルを争ってるし、いつも以上にスゴイことになりそうだよ」

　ジェンソンがそう言っていたのは、今年のイギリスGPの1週間前。フランスGPの決勝レース直前だった。そしてマニクールでのレースは、8位でフィニッシュ。今シーズンは開幕戦から厳しい戦いが続いていたが、折り返し点間近の第８戦でようやく初ポイントを獲得することができた。
　わずか1ポイント。しかし苦しんだ末の今季初入賞だっただけに、ジェンソンの喜びは大きかった。
　「チェッカーを受けた直後は、思わず無線で叫んでしまったよ。ポイントが獲れたことももちろんだけど、それ以上にマシンの戦闘力が確実に上がっていることが、僕にはうれしかったね。まだトップチームとの差は大きいし、これをきっかけに一気に飛躍できるほど、この世界は甘くない。でも僕らの開発の方向性は、まちがってなかった。ようやく、僕が思いきって攻められるクルマに、なりつつあるよ」
　そんな手応えを得て、ジェンソンは自国GPへと向かった。彼はこのシルバーストーンを、「世界最高のサーキットのひとつだ」と絶賛する。

　 「単に自国のグランプリというだけじゃなく、コース自体がすばらしい。ほとんどエンジン全開のまま、右左とレーンチェンジを繰り返すベケッツ。時速300km以上からフルブレーキング、4速で抜けて行くストウとか、本当に偉大なコーナーと言うほかない。これらのコーナーを攻めるたびに、F１がいかに速いか、そしてこのマシンを運転することがいかに特別なことか、思い知らされるよ。うまくクリアできると、心の底から笑顔が浮かぶしね。僕も含めすべてのF1ドライバーに、そんなスリルを与えてくれる、今となっては数少ないグランプリサーキットなんじゃないかな」
　「いくつかのコーナーでは、今のF1マシンでもオーバーテイクは可能だ。すべてが高速だから、抜きつ抜かれつも大迫力さ。1950年代や60年代のサーキットは、みんなこうだった。低速コーナーなんか、なかったんだ。シルバーストーンも改修を受けて、最後の2つのコーナーはかなり遅くなってしまったけど、でも昔の魅力は十分に残ってる」
　今年はルーキーのルイス・ハミルトンが大活躍していることもあって、チケットは早々に売り切れてしまった。ジェンソンとしても、この大好きなサーキットで、グランドスタンドを埋めた満員のファンを前に、最高の走りを披露したい。遅ればせながら1週間前のフランスGPで今季初ポイントを獲得し、その勢いで自国GPを戦えるはずだった。

　ところがGP初日、思わぬトラブルがジェンソンを襲った。午前中のフリー走行中に、背中痛に見舞われたのだ。すでに２週間前のヘレステストの際にも、同じ症状のため２日間の予定だった走行を1日に減らしている。6月のインディアナポリスでのUSGP決勝で、スタート直後に接触事故に遭ったことが原因らしい。その後のフランスGPでは痛みはなく、完治したと思われていたのだが。
　ジェンソンは午後のセッションを第３ドライバーであるクリスチャン・クリエンに代わってもらい、ロンドン市内の病院で精密検査を受けた。結果次第では、週末のレースを欠場する恐れもあった。しかし幸い神経や筋肉等にダメージはなく、まだ若干の痛みは残っていたものの、医師からもゴーサインが出た。
　とはいえ初日午後の走行を休んだことは、大きなハンデキャップとなった。このセッションで２種類のタイヤの比較走行をしたり、シルバーストーンのコース特性に合うように、マシンの煮詰めを行うからである。ジェンソンは午前中のフリー走行で、前日できなかったメニューを集中的にこなした。ロングランのペースは、さほど悪くなかったようだ。しかし「1週間前のマニクールのときのように、レースでの速さなら中団チームではトップ、というほどの速さは出せていない」と、中本修平シニア・テクニカル・ディレクターは言う。予選に向けて、空タンクでのシミュレーション走行をしなかったこともあるが、このセッションのジェンソンは総合18番手。トップのフェルナンド・アロンソ(マクラーレン)からは、ほぼ２秒落ちだった。