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第3章 現代に蘇るRC335C 42年ぶりの咆哮。復活を果たして

復元・復刻プロジェクトその2 エンジンと車体編
技術との格闘、その足跡をたどる

残された設計図面から分かったことは、RC335C=RC250Mのエンジンは意外なほどオーソドックスな造りであることだった。特に排気・掃気のタイミングは現代の2ストロークモトクロッサーと比較しても、大きな違いはないという。最初は徒手空拳で始まった本格的2ストロークエンジン開発であるから、基本的な要素を確認しながらの作業であったことは容易に想像がつく。

当初はその基本的な要素すら分からなかったレベルだったであろうから、性能確立までには相当の失敗や試行錯誤があったはずである。最も顕著だったのは、エンジンの耐久性に関する課題だろう。これは、1972年の開発当時はもとより、今回の復元・復刻プロジェクトでもエンジニアを悩ませた部分だ。

「エンジン外観は公式に発表したときの仕様とし、性能も同等のものとしました。シリンダーのポートタイミングなどにはあまり仕様差がなく、オリジナルの構造を踏襲した上で、機能・耐久性観点で“安心・安全なスペック”を採用しています」とエンジン担当の作山は言う。

今回の復元過程においては、完成車の台上テストで、予想以上に焼き付き(抱き付き)が多発した。その原因は、シリンダーの熱歪みに集約される。RC335Cのシリンダーは、アルミ鋳造のシリンダーボディに鋳鉄スリーブを鋳込んだ、当時としてはオーソドックスな構造だが、特にポート間の柱など熱引きの弱い部分の歪み変形が問題となったのである(排気ポートを柱で2分割し、変形の大きな柱部をあらかじめ逃がしておく“柱逃がし”は当時より行っていた)。

構造的な熱分布の違い、鉄とアルミの膨張率の違い、さらにはスタッドボルト穴周辺の変形など、それまでの4ストロークでは顕著に現れなかった問題がRC335C開発当時には一気に露見し、それがそのまま開発陣を苦しめた。

復元作業ではそのレシピを忠実に再現することからスタートしているのだから、短期間ではあるが先人の苦労をそのままトレースしたと言ってもいいだろう。最初の2ストロークということもあってか、残っていた図面は膨大なものであった。

「特に鋳鉄スリーブの仕様は、圧入・鋳込み(形状違い)など多数存在していました。しかも、ピストンプロフィールは図面記載がなく、現合の手改修で対応していたと推定できます」と作山。

当然ながら、ピストンにも熱による歪み変形がある。後の2ストロークエンジンではその歪みを考慮したピストンプロフィールが常識的に設定されたが、当時はこのことを十分に考慮できるだけの経験がなかったであろうから、オリジナル寸法のシリンダーとピストンの組み合わせでは焼き付きが発生しやすかったようだ。このため、当時も、そして今回も、軽度な焼き付き(抱き付き)が発生する度に止めては分解し、シリンダーとピストンの当たりが強い部分に修正を繰り返し、エンジンを仕上げていったのである。

でき上がったRC335Cのエンジンは、全長400×全幅260×全高370mm、使用される材質は現在と同じアルミ合金などの一般的な材料で、オリジナルのクランクケースはマグネシウム製だが、復元車では経年劣化を考慮してアルミ合金製としているのが唯一の相違点である。ちなみに、空冷ゆえの大きく薄いシリンダーフィンはアルミ鋳造だが、成型時の湯廻り不良やシリンダースリーブとの密着不良が起きやすく、何度も鋳造方案の見直しを行った。

性能確立の試行錯誤

キャブレターは基本的にKEIHIN製を使用しているが、当時のレースではMIKUNI製も使用された。モトクロス走行の激しいマシン挙動に対して、フロート室内の油面安定性を確保することが重要な課題だった。フロートの形状やフロート室の構造の違いなどで、油面安定性が大きく変わったためである。

実際の開発では、MIKUNIのものを参考にすることから始まり、当初はキャブレターボディーを小さくしようとして、フロート室を小さく丸く設計したため、振動で燃料が泡立つことによる性能の悪化に苦労している。

「キャブレターの図面は外観図しか残ってなかったため、外観はそのままで内部構造は現在のキャブレターをベースに設計し直しました。そのため、油面性能は当時に比べて格段に向上しています」と言うのはキャブレター担当の柏原。

ちなみに、初期の開発段階では、機械式燃料噴射も検討されていた。これはロードレーサーRC116(1966年の50cc)のころから検討されていたもので、オフロード走行における燃料供給の安定化を目的として、前述の油面性能向上も視野に入れての検討であったようだ。

そして、エンジンにおける最終的な高出力化のアプローチは、排気チャンバーによるものが大きいようだ。燃焼室形状のデザインは多数存在していたが、シリンダーポートタイミングなどに関してはあまり仕様を変えておらず、チャンバーを現合でどんどん変更していったのである。

「チャンバーの基本的なスペックは335Bの物しか残っておらず、RC335Cの“標準”と呼べる仕様はありませんでした。しかし、逆に、その変更を記録した膨大な量の仕様書が残されていたので、そこから仕様を決めています。同時に実車の画像を参考にして、車体レイアウトに合わせていきました」と佐々木は言う。

仕様書ではRC335Cのチャンバーは10種類以上が存在しており、高速タイプから始まり、実戦では徐々に中低速タイプに振っている。出力特性の変更と合わせて強度アップ・走破性アップの観点で製作されており、現合で改修・製作し実際に使用したもののみ記録されている。

RC335Cがデビューした1972年のエンジン出力特性の変化は以下の通り。前半の第4戦まではピーク出力を狙っていたが、第5戦以降は中低速を重視する方向に変化しているのが分かるだろう。

図

フレーム、強度と軽さの追求

当時のフレーム開発に関しては、パイプサイズはSL250Sの物を念頭に置き、サイズダウン→材質アップ→サイズダウンと作業を進めて軽量化を目論んでいる。その結果、この初期仕様ではフレーム重量8.2kgとなっているが、1972年の最終戦のみに投入された335Dにおいては、同6.9kgと125ccレベルの重量を実現。同時に数レースは耐えうる強度も確保しているのだ。

2ストロークマシン特有の高周波振動によるクラックに注意する必要があったと、当時の仕様書に記載されており、出力向上→強度アップ→重量増→軽量化という、イタチごっこを繰り返し、完成形と言えるRC335Dの仕様に行き着くまで、相当数の造り込みがなされたと言われている。

「今回の復元作業では、エンジンと異なり、フレーム関連の図面は335Bの物しか存在していませんでした。このため、当時の仕様書と写真を基にしてRC335C初期仕様を推測し、仕様を決定しています。したがって、今回の復元車はRC335Cの初期仕様であり、発表時の写真から判断できた72年の全日本第1戦・谷田部大会出場車=低シート高仕様となっています」と車体担当の佐々木。その諸元は以下の通りだ。

335C(復元仕様)
部品名 材質 素材寸法
ヘッドパイプ クロモリ Φ54×t3.5
メインパイプ クロモリ Φ45×t1.6
ダウンチューブ クロモリ Φ38.1×t1.6
センターパイプ クロモリ Φ22.2×t1.2
サブチューブ クロモリ Φ22.2×t1.2
サブチューブホルダー クロモリ Φ22.2×t1.2
スティフナーパイプ クロモリ Φ22.2×t1.2
ボトム(ピボット)プレート 高張力鋼板 t4.5
ENGハンガーステー 高張力鋼板 t1.6
フレームヘッドパッチ 高張力鋼板 t2.3
ヘッドパイプスティフナー 高張力鋼板 t2.3
リアクッションBRKT 高張力鋼板 t1.6
クロスプレート 高張力鋼板 t1.6

※注:クロモリは「クロムモリブデン鋼」の略

サスペンションに関しては、ストローク80mmを確保したリアサスペンションは、当時の旧来の仕様を再現するのが難しく、内部構造は現代の物に置き換えられている。しかし、フロントフォークはオリジナルを復元した正立テレスコピック式とした。インナーチューブ径φ35mm(内径φ26mm、板厚4.5mm)、ストローク量181mmである。

開発当初はSL250Sを流用したためストローク量は170mmであったが、ここから性能向上のために11mm延長して181mmとされた。当初その内容は圧側136mm/伸側45mmと伸側にもストロークを振っていたが、その後、圧側ストロークを多くとる変更がなされている。 「ストロークを伸ばす場合、圧側を多くしたほうがショックの吸収量としては有利であった」という記録が残っている。

ちなみに、軽量化の追求という点では、RC335Cの開発途中にはインナーチューブの内径をφ28mmまで拡大(=薄肉化)したが、その結果は剛性不足となり、その後のテストで「剛性を確保した軽量化は内径φ27mmが限界」と判断され、RC335Dにはそのスペックが反映されたという。

また、車体関係で使用されるボルト類はすべてチタン製である。フロント&リアアクスル、アクスルカラー、ピボット、キックアームもチタン製だ。車重は発表当時で乾燥重量84kg、復元車では半乾燥重量91kgとなっている。この復元車の重量増加に関しては、クランクケース材質をオリジナルのマグネシウムからアルミニウム製に変更している点と、装着したタイヤの重量が影響しているようだ。

エンジニア紹介

ンジン担当/作山尚史

エンジン担当/作山尚史

車体担当/佐々木達哉

車体担当/佐々木達哉

車体担当/佐々木達哉

キャブレター担当/柏原裕二

RC335C復元チーム 開発責任者/松本隆

RC335C復元チーム 開発責任者/松本隆

蘇った原点・RC335C、鮮やかな走り再び

2014年4月20日、全日本モトクロス選手権第2戦関東大会。復元されたRC335Cが走った。これはレースのインターバルに行われたデモンストレーション走行だが、ライダーは72年の初優勝を記録した吉村太一さん、その人である。

すでに全日本開幕戦で初展示されたRC335Cは入念なセッティングを終え、初の公開走行を行うために会場の埼玉県川越のオフロードヴィレッジに運ばれてきた。走行前のウォーミングアップでは、エンジン始動がなかなかスムーズにいかず、関係スタッフを不安にさせる場面もあったが、本番ではキック一発でエンジンは始動。

今では珍しくなった2ストローク独特のオイルの焼ける匂いと漂う白煙、そして消音器のないチャンバーから吐き出される甲高い排気音が場内に響き渡る。関係者の協力で、可能な限り再現された当時のウェアをまとった吉村さんは、スタートするといきなりワイドオープンでRC335Cを加速させた。

「72年に初優勝したレースでは本田(宗一郎)さんが見ていたって、自分のために走っていたから緊張なんかしなかったのですが、今日はプロジェクトのスタッフやお客さんの期待があるから、さすがに緊張しました(笑)。この歳になって335Cの新車に乗れるなんて、夢にも思っていませんでした。“逆・浦島太郎”状態ですね」

と言う吉村さんはこの日、初めてマシンと対面という、ぶっつけ本番にもかかわらず、往年の姿を思い出させる力強いライディングを見せてくれた。その開けっぷりは70歳近い年齢を感じさせない、さすが元全日本チャンピオンというものだった。

「マシンの調子はよかったですよ――キャブレターなんかこんなによかったかな?(中身は現代の物と説明を聞き)ああ、やっぱりそうですか。当時はね、キャブレターやサスペンション(SHOWA製)が、まだ新しいメーカーだったから苦労しました。当時は全部がやり始めだったわけで……。パワーは出ていても、すぐオーバーヒートを起こしたり。でも、その当時は開発陣の苦労を知らなかったから、好き勝手なことを言ってしまいましたけどね(笑)。そういえば、優勝したレースでも、Hondaは会場に仕様違いのマシンを6台も持ち込んでいたんですよ。そのくらい徹底的にやっていたのを思い出しました」と、当時を振り返る。

この日、行われた全日本選手権のIA1クラス決勝では、Team HRCの成田亮が開幕戦に引き続き、両ヒートを制覇し、4連勝。前人未到の全日本V10達成にまた一歩前進した。その会場を走ったRC335Cの姿には、42年前も今もフラッシュレッドが勝利の色だということを感じずにはいられない。そして、そこにはHondaの伝統ともいえる、“技術と格闘する”スピリッツが脈々と流れているのである。

走行前のポジション合わせで335C復元車と対面した吉村さん。文中のコメントにもあるように緊張した面持ちで、かつての相棒を見つめるその胸中に去来するものは……。

走行前のポジション合わせで335C復元車と対面した吉村さん。文中のコメントにもあるように緊張した面持ちで、かつての相棒を見つめるその胸中に去来するものは……。

当時のものができるだけ忠実に再現されたウェアに身を包んだ吉村さんが登場すると、あたかも42年前にタイムスリップしたかのような感覚に。古くからのモトクロスファンからは、懐かしいであろうこの姿に大きな声援が飛んだ。

当時のものができるだけ忠実に再現されたウェアに身を包んだ吉村さんが登場すると、あたかも42年前にタイムスリップしたかのような感覚に。古くからのモトクロスファンからは、懐かしいこの姿に大きな声援が飛んだ。

白煙と甲高いエキゾーストノートを吐き出しながらスタートすると、エンジンはきれいに吹け上がってRC335Cは加速した。40PSに届こうとするそのパワーは、豪快に泥を跳ね上げたのだった。 白煙と甲高いエキゾーストノートを吐き出しながらスタートすると、エンジンはきれいに吹け上がってRC335Cは加速した。40PSに届こうとするそのパワーは、豪快に泥を跳ね上げたのだった。

白煙と甲高いエキゾーストノートを吐き出しながらスタートすると、エンジンはきれいに吹け上がってRC335Cは加速した。40PSに届こうとするそのパワーは、豪快に泥を跳ね上げたのだった。

【動画】「RC335C」デモンストレーション走行

【動画】「RC335C」デモンストレーション走行