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 1911年のメモリアルデー(戦争で亡くなった方たちを尊ぶために設けられた国民の休日)に開催された記念すべき第1回インディアナポリス500は、マーモン・ワスプという車で出場したレイ・ハロウンが優勝を飾った。その記念すべき第1回優勝車は、サーキットに隣接する博物館『モーター・スピードウェイ・ホール・オブ・フェイム』に飾られている。
 素晴らしいアイデアの持ち主フィッシャーは、ひとところに留まることを嫌い、次から次へと事業を企画しては実現していく。自動車メーカーやタイヤメーカーを説得して資金を提供してもらい、アメリカ初の大陸横断道路、リンカーン・ハイウェイを建設させたのも彼である。その後、沼地であったフロリダを開拓してマイアミ・ビーチをつくったのも、基本的には彼の力による。そして1939年、この偉大なるセールスマン兼プロモーターは、破産し無一文のままこの世を去る。過度に強気で楽観的なアメリカ人企業家の末路の典型的な例である。

 伝説のレーサー、エディ・リッケンバッカーが1927年にサーキットを買い取り、その後トニー・ハルマンに譲渡した。そしてインディアナポリス・モーター・スピードウェイと正式に名づけられたサーキットは、ハルマン一族が今日にいたるまで所有運営している。1911年以来、第1次大戦中の1917〜1918年と第2次大戦中の1942〜1945年を除いて、毎年5月のメモリアルデーにインディ500は開催されてきた。

インディアナポリスの5月

 毎年5月の最終週のメモリアルデー・ウィークエンドにとどまらず、事実上5月いっぱいはインディ500のために捧げられる。公式行事は、5月第1週目の日曜日の午前9時にサーキットのゲートがオープンし、参加チームが続々と到着するところから始まる。その日の午後には早速各チームによる練習が行なわれ、その週の金曜日まで、午前11時から午後6時までの予定で各チームの練習が続く。1本の映画を観るのに高い入場料を払わされていると感じる現代社会で、インディ500の公式練習を観るための入場料はたったの5ドル(約600円)、5歳以下は無料である。
 1回目の公式予選は第2週目の土曜・日曜に行なわれ、入場料は10ドル(約1200円)。入場料の安さも手伝って、この週末にもスポーツ・イベントとしては最大級の観衆が集まる。

 その3日後の水曜日から金曜日まで公式練習が再開され、例年なら2週目の公式予選にあたる第3週目の土曜日に、2003年は急遽インディカー・シリーズのジュニア・レース・シリーズであるインフィニティ・プロシリーズの100マイルレースが組み込まれた。
 したがって、2003年は次の日曜日が、「バンプデー」として知られる最後の公式予選日となる。「バンプデー」というニックネームは他のレーサーに速いタイムを出されたレーサーがバンプ・アウトされる(押し出される)ことから来ている。
 最終公式予選の翌日の月曜日と翌々日の火曜日には何の行事も予定されていない。そして決勝レースのある週の水曜日が来ると、アメリカ全土、全世界から、何千、何万というファンがインディアナポリスに集い始める。

 次の木曜日は、これまたインディアナポリス恒例の「キャブレーションデー(気化の日)」である。むろんインディ・カーは何十年も前から燃料噴射装置を使用して走っているが、この日はキャブレターで走っていた頃を懐かしむために設けられている。同時にこの日はインディ500に参戦する各チームにとっては、コースを走って本番前にエンジンやサスペンションなどのセットアップをチェックできる最後のチャンスでもある。
 レース直前の金曜日と土曜日にはサーキット上での公式行事はないが、サーキットのまわりでは2日間ではとても消化しきれない大小イベント、各種アトラクション、世界各国の料理が準備されていて、果てしなく続くパーティは日曜日のインディ500決勝でそのクライマックスを迎えるのだ。(第8話に続く)
(写真は2003年時のもの)
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