インディカー・シリーズとは何か?
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 モナコの住民やNASCARの主催者には絶対に内緒だが、ほとんどのアメリカ人にとって5月は、“インディアナポリス500”(以下、インディ500)のためにのみ存在する。誰が何と言おうと、毎年5月、世界のレースの中心地はインディ500のふるさと、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス市であると信じて疑わない。
 普段、レースのことなどほんのおざなりにしか記事にしないお堅い新聞でさえも、こぞってスポーツ欄の一面に大々的に特集を組む。いつもはレースにまったく関心を寄せない人も、インディ500の予想やレーサーの調子などを語り合う。エリオ・カストロネベス、サム・ホーニッシュJr.、ダリオ・フランキッティ、ケニー・ブラックといった、普段馴染みのないインディカー・シリーズのレーサーたちの名前が、普通の人々の会話に飛び交う。
 86歳になる私の母でさえ、私にマイケル・アンドレッティの調子を尋ね、「マイケルは今年こそ念願の“The 500(インディ500)”に勝てるかしら?」と訊いてくるほどだ。

 インディ500こそすべて、世界の中心なのだ。

 しかし、そのインディ500の開催されるマジック・ランド“インディアナポリス”は、いったいどこに在るのだろうか?

アメリカ合衆国中西部の町、インディアナポリス

 アメリカ人は普通自分たちの国を語るとき、東海岸、西海岸、南部、そして中西部と大雑把に4つの地域に分類する。むろんはっきりとした境界線などないが、インディアナポリスは間違いなく中西部に属する。
 ニューヨークから西に660マイル(約1063km)、ロサンゼルスから東へ1800マイル(約2898km)、ニューオリンズから北へ693マイル(約1116km)、そしてデトロイトから南西に215マイル(約346km)行ったところにインディアナポリスは存在する。
 現在のインディアナポリスがある場所がインディアナ州都として選ばれ街づくりが始まったのが1821年で、それ以来200年近く、インディアナ州は“全米の十字路”(Crossroad of America)と呼ばれ、親しまれている。初期のころは水運の中継点として、その後は何本もの鉄道が交差する町として、そして現在はアメリカの5大インターステート・ハイウェイ(州をまたぐ幹線道路)がここに集結することから、そう呼ばれてきた。全米最大手の運送会社中5社がここに本社をおいていることをみても、インディアナ州がいかに製品の流通に適した地理的条件を備えているか理解できる。ある調査によると、インディアナポリスから24時間以内に自動車で行ける範囲に、アメリカの全人口の半分にあたる人が住んでいるらしい。

 地元の人々はインディアナ州に住むことを非常な誇りに思っていて、事実、インディ500のレース開始直前には必ず、アメリカ合衆国の国歌「星条旗よ永遠なれ」と「バック・ホーム・イン・インディアナ」の2曲が歌われる。
 インディアナポリスは旧き佳きアメリカの大草原にあり、とてつもなく広く、ひたすら平らな特徴のない土地に、無数の農場が緑の大地に点在する都市だった。州都インディアナポリスは人口約86万人の中都市で、市の周りをぐるりと囲むかたちで市の2倍の広さの都市圏が形成されている。とても友好的な雰囲気の都市で、主な産業は重工業とヘルスケア(健康関連)産業である。余談だが、ロールス・ロイスはインディアナポリスの工場でガス・タービン・エンジンを生産している。


インディアナポリス・モーター・スピードウェイ


 しかし当然、世紀のイベント・インディ500や、毎年8月に同じくインディアナポリス・モーター・スピードウェイで行なわれるNASCARの重要なレース“ブリックヤード400ストックカー・レース”の恩恵を受ける観光も、インディアナポリスならびにインディアナ州にとって重要な産業となる。
 そしてこの2つの大きなレース・イベントも、先見の明のあったカール・G・フィッシャーが、1909年、このだだっぴろい農地に2.5マイルのコースをつくらなければありえないことだった。

 フィッシャーは、歴代の偉人がそうであるように、実に魅力的な人物で、初期の自動車の圧縮ガスを使用したヘッドランプをつくる会社の創立を手伝ったり、ヘンリー・フォードやトーマス・エジソン、超人(鳥人)レーサーと称されたエディ・リッケンバッカーらと親しく交わっていた。1905年、ヨーロッパで行なわれたゴードン・ベネット・カップというレースに自ら出場し、ヨーロッパ車の優秀性を痛感してアメリカに戻ったフィッシャーは、一念発起、アメリカの車の性能を向上させるためのコースを作ろうと決心する。
 彼はさっそく有志を募り、そのグループの代表として、レース・トラックの建設に必要な25万ドルを集めた。できあがったコースの表面には、当初細かい砕石が敷かれていた。初めてのレースは、1909年8月19日に300マイルレースとして開催された。しかし、事故で6名が死亡する大惨事となり、レースは235マイルを終えた時点で中断された。
 コース表面の砕石が事故の原因とみなされ、コースは10ポンド(約4.53kg)の重さのレンガ320万個によって舗装し直された。新しく舗装されたコースは、翌年のレースで予想通りの効果を発揮し、3年目の1911年からは500マイルという距離で競われることが決定した。
(選手名などの記述は2003年時のもの) 
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フッタ
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