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#03
APRIL 20, 2007

BRIDGESTONE INDY JAPAN 300 mile「主な見どころ」

2007年4月20日(金)

アメリカのオープンホイールレースの最高峰と位置づけられるIRL インディカー・シリーズは、世界3大レースのひとつとされ、今年で91回目を迎える伝統のインディアナポリス500マイル・レース(通称Indy500)を軸に、今季は全17戦で戦われるシリーズである。

アメリカン・ホンダ・モーターは、'04年、'05年と2年連続で3冠(ドライバー、マニュファクチャラー、ルーキー)を達成したIRL インディカー・シリーズにおいて、'05年末の他エンジン供給メーカーのIRL撤退の表明を受け、アメリカのモータースポーツ文化への貢献とさらなるチャレンジを目指し、'09年まで全チームへエンジンを供給することを発表した。よって'06年からは、アメリカン・ホンダ・モーターの子会社ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメントが、唯一のエンジンサプライヤーとして、全戦全チームへHonda Indy V-8エンジンを供給している。そして、'06年シーズンの第90回Indy500においては、同大会史上初となるエンジントラブルによるリタイアゼロという、Honda Indy V-8エンジンの信頼性の高さを示した。

 

本年度の見どころ

'07年は、ロードコースでの開催がさらに増え、全17戦中5戦がロードコースでの開催となる。IRL インディカー・シリーズでは、イコール・コンディションを徹底させるため、マシンやエンジンで格差がつかないよう厳しいレギュレーションが定められているが、昨年から全チームがHonda Indy V-8エンジンを使用することになったことに加え、今年はシャシーもフルエントリーチームのすべてがダラーラ製を使用する。また、トラクションコントロールやローンチコントロールといったハイテクデバイスは禁止されているため、マシンの実力がきっ抗し、ドライバーやチームの技量といったソフト面の実力が今まで以上に結果を左右している。

使用燃料については、'60年代から爆発事故が起こりにくいメタノール100%であったが、地球自然環境に配慮したIRLの決定により、'06年にはメタノール90%とエタノール10%の混合燃料になり、'07年は100%エタノールとなった。こうした試みはモータースポーツの世界では初めての試みである。燃料の変更によって、燃費は約30%向上しているが、トップパワーは低くなるため、これまでと同様のパフォーマンス確保のため排気量が3.5リッターに拡大されている。

2戦が終わり、現在のところ、CART時代の'96年〜'99年と、'03年のシリーズチャンピオンの実績があるターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング(以下ガナッシ)が圧倒的にリードしている。昨年同点首位ながらチャンピオンを逃したダン・ウェルドンは開幕戦勝利を飾り、'03年シリーズチャンピオンのスコット・ディクソンは開幕戦・第2戦ともに2位につけた。

この絶好調のガナッシを追うのは、CART時代に11回のシリーズチャンピオン獲得の実績があり、昨年はチャンピオンチームとなったチーム・ペンスキー(以下ペンスキー)である。昨年のチャンピオンであるサム・ホーニッシュJr.と、昨年のインディ・ジャパンの覇者で今年は第2戦で勝利したエリオ・カストロネベスも好調である。

そのほか、昨シーズン19歳という若さで史上最年少初優勝を果たして、Indy500では2位を獲得したマルコ・アンドレッティ、レイホール・レターマン・レーシングからアンドレッティ・グリーン・レーシングへ移籍したダニカ・パトリック、インディカー史上初めてポールポジションを獲得した女性ドライバーであり、4年ぶりのフル参戦を果たすサラ・フィッシャーも注目を集めている。

フル参戦している唯一の日本人選手である松浦孝亮はインディカー参戦4年目の今年、2度のチャンピオン獲得経験のある名門チーム、パンサー・レーシングとジョイントしたスーパー・アグリ・パンサー・レーシングから参戦する。開幕戦、第2戦ともに、不運なトラブルに巻き込まれ、満足な結果を残すことができていないが、マシン、チームともに上り調子であり、インディ・ジャパンに向けての好感触を得ている。

そして、シリーズ第3戦となるのが、日本で唯一のスーパースピードウェイを持つツインリンクもてぎ戦である。全長1.5マイルのオーバルコースを200周(距離にして300マイル)で戦う。インディカー・シリーズの最大の魅力は何といってもアクセル全開の最高速で繰り広げられる接近戦であるが、もてぎはテクニカルな難しさのある左右非対称コースで、全周1.5マイルの1周すべてをアクセル全開で走れないコースレイアウトになっている。コーナー半径の大きいターン1からターン2をアクセル全開で走り抜けるマシン・セッティングと、タイトで減速が必要なターン3からターン4でのハンドリングを仕上げることがドライバーとエンジニアに求められる。特に減速が必要なターン3と4をいかに攻略するかが非常に重要なポイントとなる。

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Hondaのアメリカンレース参戦の歴史

アメリカン・ホンダ・モーターは、Hondaのチャレンジング・スピリットを広くアメリカでPRすることや人材育成を目的とし、'93年1月にPPGインディカー・ワールド・シリーズへの参戦計画を発表した。それにともない、'93年4月にはレースチームへのエンジン供給を行う100%出資子会社、ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメントを設立した。

アメリカンレースが、伝統的にエンターテイメント性を非常に大切にしているがために、当時からインディカーの技術的競争は非常に厳しいものがあった。

Hondaは'94年3月にデビューを果たすが、その注目の高さとは裏腹に、全16戦中完走13戦、表彰台登壇は1戦のみという結果に終わる。シーズン途中のインディ500開催直前にはエンジン供給先のレイホール・ホーガン・レーシングからインディ500でのエンジン搭載をキャンセルされ、その後第11戦の直前には翌'95年のエンジン供給契約をしないという旨の通知を受けてしまう。

その屈辱がHRH型という新エンジン開発の起爆剤となり、それまでの耐久性を重要視した鋳鉄性ブロックのエンジンの改良に取り組むと同時に、アルミブロックを採用した新型エンジンを並行開発し、エンジン軽量化を実現するのである。

参戦2年目の'95年の第15戦、ニューハンプシャーでルーキーのアンドレ・リベイロ(タスマン・モータースポーツ)のドライブによって、念願の初優勝を果たす。

そして、参戦3年目の'96年シーズンには、4チーム6台に供給する体制となり、開幕戦で1-2フィニッシュを飾り、続いて4連勝。そして年間16戦中、インディ500を含めて11勝という戦績は、マニュファクチャラーズ・タイトル、PPGカップチャンピオン、ルーキー・オブ・ザ・イヤーという三冠達成をもたらした。

その後Hondaは、計9年間で165レースに出場して65回の優勝を記録し、マニュファクチャラーズ・タイトルを4回、ドライバーズ・チャンピオンを6年連続で獲得するという偉業を達成した。しかし、'03年シーズンからエンジン規定をV型8気筒3.5リッターN.A.に変更するとのCART側の決定を受け、1年間という短期間で競争力ある新エンジン開発は不可能と判断し、'02年シーズンをもって参戦を中止する旨を発表した。

しかしながら、アメリカでのモータースポーツ参戦と、世界3大レースであるインディ500への挑戦の継続のため、'03年よりIRL インディカー・シリーズにエンジンサプライヤーとして参戦することを決定したのである。

そして、'06年第7戦において、'94年3月の北米フォーミュラカー・シリーズ参戦開始から通算100勝目を達成した。

また、'07年シーズンからは、アメリカン・ホンダ・モーターは、アキュラブランドでアメリカン ル・マン シリーズのLMP2クラスに参戦を開始した。ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメントがHonda海外現地法人としては初めて独自で開発設計したACURA LM V-8エンジンを搭載した3チームが参戦している。初戦セブリング12時間レースではアンドレッティ・グリーン・レーシングがデビューウインを飾り、第2戦ではハイクロフト・レーシングが3位表彰台を獲得するなど好調なスタートを切っている。

 
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