Honda
モータースポーツグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード
Goodwood Festival of Speed 2005 with Honda
第五話 夢のグッドウッド開催レポート vol.3
グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの敷地内にあるヒルクライムコースを、スチュワート・グラハムがHonda RC166に乗り、美しいリーンウィズのライディングフォームで立ち上がって来た。澄み渡った、真に魂を揺さぶられるようなフルスロットルのエキゾーストノートが響き渡った。そのサウンドに酔い知れながら、一瞬、イメージは40年前に飛んだ。
 
澄み渡ったエキゾーストノート響かせ、ヒルクライムコースを疾走するRC166。このライディングフォームはまさに当時のものだ。ライダーは、スチュワート・グラハム。
 
Hondaが世界トップレベルのモータースポーツにチャレンジしたのは、1964年のRA271によるF1が最初ではない。第二次世界大戦終結直後の1946年10月に、本田宗一郎は本田技術研究所を設立する。それからわずか8年後の1954年、本田宗一郎は世界最高峰の二輪レースであるマン島TTレースへの出場を宣言したのである。
その後、1962年にHonda自ら、日本初となる本格的なレーシングコース、鈴鹿サーキットをつくることになるのだが、当時の日本はサーキットさえ満足になく、モータースポーツに対する知識も皆無に等しかった。そのような状況のなかで、戦後創立された新興の二輪メーカーが、こともあろうに世界最高峰の二輪レースへの挑戦を宣言したのだから驚くほかない。
二輪レースで世界に挑んだHondaの黎明期の栄光を支えたライダー。右がルイジ・タペリで、左がジム・レッドマン。今なお精悍。世界の頂点で栄光をつかんだ者の表情である。
当然と言うべきか、現実はそれほど甘くは無く、マン島TTレースへの出場宣言から1959年の初出場までに5年の歳月を要することになる。しかし、マン島TTレースを含むロードレース世界選手権への参戦を開始してから3年目の1961年4月、第1戦スペイングランプリの125ccクラスで、Honda RC143を駆るオーストラリア人ライダー、トム・フィリスが優勝する。Honda製マシンのグラン・エプルーヴ*初優勝である。続く第2戦、5月14日の西ドイツグランプリでは、250ccクラスでRC162に乗った日本人ライダーの高橋国光が日本人としてグランプリ初優勝を飾った。
 
ルイジ・タペリが走らせるRC149。125ccながら空冷4サイクル5気筒エンジン。2万回転以上の高回転で、Hondaは当時主流を占めていた2サイクル勢に挑んだ。トランスミッションは8速である。
 
そして迎えた第4戦、マン島TTレースでも、125ccと250ccの両方のクラスで1位から5位を独占。さらにはその2つのクラスでコンストラクターズ・チャンピオンに輝いた。ここに、マン島TTレース参戦宣言以来の宗一郎の夢が実現されたのだ。しかも、当時は軽量でパワーを出しやすい2サイクルエンジンを搭載したマシンが主流を占める中、Hondaはあえて4サイクルエンジンを搭載したマシンでチャレンジしての勝利。“人と同じことをしない”というHondaらしさを発揮しての夢の実現であった。
 
それ以後、Hondaレーサーは活躍を続ける。1966年には、世界グランプリの50/125/250/350/500ccのサイドカー・クラスを除く全クラスで、コンストラクターズ・チャンピオンシップを獲得してしまう。これは、世界グランプリ史上初となる5クラス制覇である。こうした二輪レースでの活躍は、そのままF1参戦へとつながる。四輪に進出したばかりのHondaが、いきなり自社製F1マシンをつくることができたのは、二輪レースでの技術的な蓄積があったからであろうが、まさかその当時にF1に参戦することなど考えなかったはずである。
 
こうした歴史的事実があるから、Hondaのサーキットでの活躍を永年に渡って目の当たりにして来たヨーロッパ、特にイギリスの人々は「Honda」というブランドには特別の想いがあるのだ。言うなれば、彼らにとってHondaは、偉大なヒーローなのである。

 
MotoGPの未来を背負うヤングライダー、ニッキー・ヘイデン。今、世界の頂点で闘う彼は、伝説となっているHondaのライダーと走れて光栄だと語った。
 
ふと気が付くと、RC166はコースの彼方へその姿を消していた。
 
今回、Hondaがメインスポンサーを務めるグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード2005に持ち込んだ10台ものモーターサイクルレーサーには、ここでは語り切れないほどのHondaの歴史が1台1台の背景にあるのだ。モーターサイクルレーサーとF1レーサーは、ともにHondaのレーシング・スピリットを語る両輪なのである。二輪と四輪の両方を、世界トップレベルの技術で造り続けるHondaならではの貴重な財産と言えよう。コースサイドに響きわたったRC166に贈られた歓声に、日本人として誇りを感じずにはいられなかった。
(文:川上 完 vol.4に続く
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