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08.12.02 vol.193 中本修平、HondaF1での8年間を語る。

一番うれしかったのは、2006年のハンガリー。
一番悔しかったのは、2004年のインディアナポリス。

2000年5月からHondaF1第3期活動に関わってきた中本修平デピュティ・マネージング・ディレクターが、7年間のイギリス駐在生活を終え、このほど帰国した。12月1日からはHRC副社長として、Hondaの二輪レース活動の責任者となる。Honda F1での8年間を、振り返ってもらった。

 

【プロフィール】
中本 修平(なかもと・しゅうへい)
1957年4月29日生まれ、鳥取県出身。
1983年Honda入社。 ホンダレーシングコーポレーション(HRC)配属。
Hondaの二輪ロードレース部門にて車体開発に携わり、数々のプロジェクトリーダーを歴任。
2000年 テストチームマネージャーとしてHonda Racing Development (HRD)へ赴任。
2008年 Honda Racing F1 Team デピュティ・マネージング・ディレクターを経て、 12月1日からは、本田技術研究所 二輪開発センター MSD室長兼、HRC 副社長に就任。

―F1から離れられる、今の気持ちは?
  チャンピオンを取りたいというのを目標にやって来たから、そこまで届かなかったなあという思いが一番強いですね。ただロス・ブロウンが入ってきて、彼へのバトンタッチは何とかできたかなと。彼が働くにあたって、Hondaとはこういう会社で、日本にもこんな人材がこんな部署にいるということは、わかるようにしておきました。イギリスからでも栃木研究所を動かせるような、そういうシステムも構築できましたし。あとはロスに腕を振るってもらって、日本側も時間差を置かずに迅速に支援できるような、そういう基盤作りはできたと思います。

―結果を見ると2004年に最高の成績を挙げて、しかしその後は苦戦が続きました。
  そうですね。2004年にうまくいったにもかかわらず、翌年はその勢いを継続できるだけの取り組みができなかった。06、07年にしても、こういう方向でいきたいという目標にたどり着けるだけのチーム力が、絶対的に不足していましたね。たとえば空力ひとつ取っても、うまくいく時もあれば、大失敗する時もある。要はトップチームのような、安定していつも勝利を争える、そういう層の厚さはなかったですね。

―それは具体的には、人材不足ということですか。
 すべての領域において、十分な力がなかったということですね。2004年にしても、ルノーやマクラーレンが失敗したことで、2位になれた。ところが1位のフェラーリに対しては、半分以下のポイントしか取れてない。最良のシーズンでも、トップとの差は歴然としていたわけです。クルマとして本当に、2位の実力があったとは思わない。クルマの実力を、100%発揮できたとは思ってます。それでもフェラーリとの差は、あれだけ大きかった。空力、足回り、運動特性、エンジン、駆動系、すべての分野で、層が薄かったんですね。その状況は、最近まで変わらなかった。

―去年から今年にかけては、かなり人材強化に努力した印象です。
  空力はずいぶん、揃いましたね。しかし他は、まだまだです。結局トップチームの強さとは、よそから優秀な人材を引っ張ってくるだけじゃなくて、組織内で育てられる強さなんですね。我々はその部分が、なかなかうまくいかなかった。外から来た人も、たとえばロイック・ビゴワのように空力で5本の指に入るようなエンジニアが来るようになったのは、本当に最近ですからね。一流サッカークラブは、主力がケガで休んでも、やっぱり強いでしょう。そういう層の厚さが、F1のトップチームにもありますよね。Hondaは主力が全員揃って、100%力を発揮して、何とか表彰台ぐらいという、まだそのレベルだということです。

―その辺りもロスの加入で、変わりつつある?
 そうですね。彼だったら、いっしょに仕事をしたいという人材が、来てくれつつありますからね。彼らが活躍し始める来年中盤以降は、けっこう期待できると思いますよ。もちろんすでにチームに来て仕事をしてくれてる人たちも少なくないし、来年のクルマは開幕戦からかなり戦えると思ってます。

―これまでで、最良の思い出は?。
  やっぱり、(2006年の)ハンガリーGPで勝ったことかな。タナボタの勝利ではあったけれど、勝ちは勝ちですから。あれが一番の思い出ですね。そして一番悔しかったのは、2004年のアメリカGPですね。佐藤琢磨の3位表彰台。セーフティカーが変な入り方さえしなければ、優勝できてましたからね。あれが一番悔しい。もちろん琢磨くんが表彰台に上がってくれたことは、うれしかったけれど。でもフェラーリの2台より、明らかに速かったですからね。

―タナボタで勝てたり、逆に速いのに3位になったり、まさにそれがレースなんでしょうね。
  その通りですね。まあ最初にも言ったように、タイトルを取れるまでやれなかったのは悔いが残りますが、これからは新天地で再び全力でがんばります。これまで以上に、Hondaを応援していただければと思います。
 最後になりましたが、2004年から始まった現場レポートをご愛読いただき、本当にありがとうございました。このレポートはすでに若いエンジニアに引き継いでいますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

vol.194