モーターサイクルレーシングで培った技術に支えられ、「やればできる」という信念が社員全員にいきわたっていた。そして、1963年、最初のプロトタイプのF1マシンRA270ができ上がった。非常に短期間であったが、その製作作業は猛烈に、かつ手際よく進んだ。
エンジンのダイナモテスト、実走行におけるあらゆる項目のテスト、そしてまったく新しいレース用エンジンとマシンの開発という、3つのプロジェクトが同時進行で進められた。そして64年8月2日、ニュルブルクリンクで開催された西ドイツGPにアイボリーホワイトに赤い日の丸というナショナルカラーに塗られたRA271が登場した。デビューレースは、最後尾スタートから9位まで浮上するものの、12周目にクラッシュしてリタイアとなった。しかし、レギュレーションにより完走扱いとなり、デビューレースは13位として記録された。
初年度の3戦で苦心のうちに学んだことを活かし、Hondaのエンジニアはオフシーズンに懸命の研究開発を続け、四輪レースでの経験の浅さを何とかカバーしようと努力を重ねた。そして、65年10月24日、1.5リッターF1最後のレース第10戦メキシコGPにて、リッチー・ギンサーが駆るRA272が初優勝を果たす。
クルマの開発は、新しいことへの挑戦も大切だ。しかし、技術の原則にのっとって手堅く作り上げることもそれ以上に大切であることを学んだ年であった。
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