F1カナダGPは、B・A・R Hondaのジャック・ビルヌーブの母国グランプリである。ジャックは、1971年カナダのケベック州で生まれた。ご存知の通りジャックの父、故ジル・ビルヌーブもF1ドライバーであった。


サーキット・ジル・ビルヌーブのスタートラインに描かれた、Salut Gilles(やあ、ジル) の文字。グランプリが開催されるごとに白いペイントで美しく塗り直されている。
 ジル・ビルヌーブは、1978年に開催された初の母国カナダGPで見事F1初優勝をやってのけ、多くのカナダ人のハートをつかんだ。カナダのF1ファンは、その感動をもう一度味わいたくて、息子である地元F1ドライバーのジャックに熱烈な声援を送るのだ。

 ジャックのドライバーとしての経歴は、見事なものである。1989年のイタリアF3参戦でレーシングドライバーの道を歩みはじめた彼は、イタリアで3年闘ったあと、1992年に日本のF3へと舞台を移した。そこで3回の優勝を成し遂げて初年度でシリーズ2位を獲得。日本で好成績を納めたジャックは翌1993年、インディカーへのステップアップカテゴリーであるフォーミュラアトランティックに参戦、ルーキーオブザイヤーを獲得した。1994年は、上位カテゴリーのインディカー(CART)でルーキーオブザイヤーに。続く1995年は、インディカーでチャンピオンを獲得してしまう。


ファンにサインを求められ、笑顔で応えるジャック。(2001年カナダGPにて)
 天才と呼ぶにふさわしい実績を引っさげ、ジャックは1996年にF1デビューを果たす。そして、開幕戦から新人とは思えない積極的な走りでファンの胸を焦がした。父ジルが多くのファンから愛されていたように、ジャックもまた果敢な走りでカナダ人のハートをつかみ、とりわけジャックの出身地であるケベック州で絶大なる人気を博している。そしてF1参戦2年目の1997年、彼は持ち前の熱き走りで、父も夢見たワールドチャンピオンの座を獲得した。

 そのジャックを応援するため、カナダGPには毎年多くの熱狂的なファンがサーキットにやって来る。モントリオール市街のセント・ローレンス川に浮かぶ人工の島、イル・ノートルダムにある、ジャックの父の名を冠したサーキット・ジル・ビルヌーブで彼らはみな、ジャックの顔やマシンがプリントされたTシャツを着、フランス語でジャックを応援する。そしてジャックがリタイアすれば、すぐさまサーキットをあとにする。
 そんな徹底した応援の姿から、彼らは『ジャック・マニア』と称されている。彼らが手にしているのは、青地に白十字のケベック州旗。十字で区切られた4つの青いマスにデザインされているマークは、フランス王朝の紋章である白ゆりを象ったもので、グランプリ期間中はカナダ国旗よりも多くサーキットにたなびく。
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