VT250 - 1982.05

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スポーツバイクの市場・背景

   バイクファッション
さまざまなライフスタイルの中で、二輪車に乗ることその行為自体がファッションとして把えられてきています。それとともに、ライダーウェアーも機能的で安全性に加えてファッショナブルなものが開発されてきています。
また、ヘルメット、ブーツ、手袋、ゴーグルなど二輪車に適した用具も数多く開発されています。
ホンダでも、服飾メーカーなどの企業と共同で、二輪車に乗る楽しさを高めるオートバイファッションの開発、普及につとめています。

   年々盛んな二輪レース
スポーツや趣味として広がりを見せている二輪車の楽しみ方の一つに、モーターサイクルレースがあります。 仲間同志が集まって楽しむレースや、MFJ(日本モーターサイクル協会)などが主催するレース大会など、さまざまなレースが毎週のように全国各地で行なわれ、それを楽しむ多くのレースファンがいます。
これらのレースの頂点ともいえるMFJ主催の全日本選手権シリーズの各大会は、参加選手とともに観客数も年々増加し、盛んになってきています。
海外でも、ロードレース、モトクロス、トライアルの各世界選手権やナショナル・チャンピオンシップレースには多くのファンがつめかけます。とくに「ボルドール24時間耐久レース」などには10万人を越す家族づれがヨーロッパ各地から観戦にやってくるなどレース熱は盛んです。
日本でも、海外選手を混えての世界選手権大会「鈴鹿8時間耐久ロードレース」には、夏休みを利用しての家族づれやサイクリストでレース一色の賑わいを見せています。
ホンダは、こうしたレースファンの期待に応えて、2輪ロードレース、モトクロス、トライアルの各全日本および世界選手権に参加し、4輪レースでは、F-IIエンジンを開発して、全日本およびヨーロッパ選手権に参加するなど、レースマシンの開発とともに積極的にレース活動を展開しています。
また、ホンダグループでは、モータースポーツの場として、国際レーシングコース「鈴鹿サーキット」をはじめ、モトクロスやトライアル競技が楽しめる「セーフティパーク」を全国各地に設置しています。
このほか、レーシングパーツの開発、供給をはじめ、レースを志すライダーのための各種レーシングスクールを開くなど、モータースポーツの健全な拡がりのためにさまざまな支援をしています。

●全日本選手権シリーズ観客動員数と出場ライダー数の変化
●全日本選手権シリーズ観客動員数と出場ライダー数の変化

   モーターサイクル(二輪車)の歴史とスポーツバイクの変遷
■歴史
モーターサイクルは1885年(明治18年)、ドイツのゴットリーブ・ダイムラーによって発明されました。
わが国では、それから24年後の1909年(明治42年)島津楢蔵氏の手によって、国産第一号、4サイクル、400cc「NS号」が誕生。その後、商品としていくつかの車種が生まれ、販売されましたが珍らしさだけで定着せず、欧米二輪先進国から優れた製品が輸入され、一部の人々にのみ利用されただけでした。
これに対し国産車は、技術的な面からモーターサイクルを企業化するに至りませんでしたが、第一次世界大戦を契機に熱心な企業家達がモーターサイクルの国産化を強力に推進、時局がら主に軍需用として利用され発展しました。
第二次大戦後は、実用として生活に密着した商店の運搬用などに利用され、貴重なトランスポーターとして発展してきました。その後、序々に国民生活が安定すると共に、若者を中心としてスポーツとしての使われ方も普及し、モータリーゼーションのさきがけとしての役割をも果しました。1955年(昭和30年)第一回浅間火山レースが開催された事が、わが国のモータースポーツ熱を燃えあがらせ、実用向きから「走りを楽しむ」乗り物へと移行し、技術革新も急速に進みました。
1960年(昭和35年)には遂に世界第一位のモーターサイクル生産国となり、優れた性能、高度な技術、完成度の高さは、日本製モーターサイクルの優秀さを全世界に浸透させました。現在でも世界一のモーターサイクル生産国として、世界の人々に愛され、先進の技術と、高品質で性能の優れた製品として送り出され、世界の二輪業界をリードしています。
 
■スポーツバイクの変遷
国産モーターサイクルは、戦前から実用性を重視してきたため、欧米二輪先進国の製品とは、性能面で劣り、モーターサイクルを「楽しもう」とする人達は、二輪先進国の製品を好んで輸入しました。しかし輸入車は高価であったため、モーターサイクル愛好家達は優秀な二輪車の国産化を望んでいました。
一方、国産メーカーは、従来の製品では及びもつかなかった「高性能」「耐久性」「安全性」の向上をめざし、1959年(昭和34年)その第1歩としてホンダが世界グランプリに挑戦。僅か二年後には見事に世界一の座を獲得、日本製モーターサイクルの優秀さを全世界に示すとともに、飛躍的な技術進歩の原動力となりました。
この貴重な体験を生かし、輸入車と対等に走り、しかも排気量、価格ともに半分以下と、素晴しい製品が続々と登場し、オンロードタイプがスポーツ車の主流となりました。さらに1969年(昭和44年)に「ナナハン」と呼ばれる750ccが誕生し、その後初心者が手軽に楽しめるモーターサイクルの開発も急速に進み、50ccの数々のモーターサイクルが誕生。高校生を中心に通学、レジャーにさかんに使われるようになりました。
スポーツ車の中心は依然としてオンロードタイプであり、免許制度改正(昭和50年10月)後は400ccが実質的な中心となっています。さらにモーターサイクルを使って違った楽しみ方を舗装路以外に求める、オフロードタイプ(不整地でも走れる)にも目が向けられるようになりました。
また、オンロード、オフロード両方を快適に使用できる「デュアルパーパス」、「マルチパーパス」と呼ばれる製品も誕生、高原や林道を走って自然との対話を楽しむなどの使われ方がブームとなっています。
最近では、戦後の第一次モーターサイクル黄金時代を体験した人達が、社会的にも、家庭的にも安定し、昔とったきねづかで二輪ユーザーとして復帰する傾向も多く見られます。いまやスポーツバイクは、年令、性別を問わずさまざまな人々の乗りものとして普及してきているといえるでしょう。

ロードレース500cc世界選手権シリーズ
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