VT250 - 1982.05

VT250F
VT250F
 
ホンダのV型エンジンへの挑戦

ホンダのV型エンジンへの挑戦  ホンダ低圧燃料噴射装置とVバンク中央の4組の3into1マフラーを配して、最高出力380〜400PS/10,500rpmと最強のエンジンとなっていた。翌67年、最高出力410〜420PS/11,000rpmに強化され、各部が軽量化されたRA300は、ジョン・サーティーズによってイタリアGPで優勝した。
 68年型RA301は、バルブ・スプリングをコイルからトーションバー形式に変え、Vバンク内側排気から外側排気に変え、各部の軽量化も進み、夢の出力とされていた450PS/11,500rpmを発揮した最強のマシンとなっていた。同時に、F-1GPマシン史上唯一の空冷120度V8DOHC32バルブエンジンを積んだRA302も68年に登場している。このエンジンの特長は、唯一の油空冷方式とホンダでは初めてのプレイン・ベアリング支持クランクを採用したことだった。ボア・ストローク88×61.4mmの2,987ccから最高出力430PS/10,000rpmを発揮していた。
 68年を最後にして、ホンダはレース活動を休止した。CVCCエンジンを初めとする量産車開発が急がれ、レースを通じて充分な技術蓄積ができたためでもある。だが、量産車をベースとしたレース活動はGPとは別に一貫して続行していた。
 再び、ホンダがレースに復帰する時がやってきた。1979年8月、イギリスで行なわれたモーターサイクルGPレースである。
 全く新設計のNR500は、当初モーターサイクル史上初の水冷100度V4DOHC32バルブ、1気筒当り8バルブというホンダならではの新しい高回転高出力エンジンへの挑戦であった。ピストン・エンジンとしてはホンダ2気筒50cc、5気筒125ccだけが実現できた“毎分20,000回転以上、1L当り260PS以上”という常識を超えた技術の壁に初めて500ccとして挑戦する革命的なエンジンである。V角は90度となり、最良のバランスを得て、82年シーズンでの活躍が期待されている。
 そして、4輪レースに於いても、1966年に11連勝を遂げてチャンピオンとなったフォーミュラIIに、新設計の80度V6気筒24バルブDOHCエンジンRA260Eを送り出した。ホンダのレーシング・エンジンとしては初めて鋳鉄シリンダー・ブロックを採用、ボア・ストローク90×52.3mmの1,996ccから最高出力310PS/10,500rpmを発揮する。
 初期はルーカス燃料噴射装置を備え、乾燥重量125kgと軽量化され、データ収集を目的とした1年目から上位を脅かす実力を示した。
 2年目となった81年、改良を加えられたRA261Eエンジンを積んだラルト・ホンダF-IIマシンは、第2戦ポーで初優勝を飾り、その後連続優勝を含めて第11戦イタリアGPでヨーロッパ選手権F-IIチャンピオンを早くも獲得した。
 82年には、ラルトに加えてスピリットもホンダRA262Eエンジンを搭載。連続チャンピオン獲得が確実と予想されている。
 このように、ホンダは既に20年近く、水冷と空冷、60・80・90・100・120度の各Vバンク角を持つV2(市販車GL400・500)・4・6・8・12気筒の各種エンジンを作り出している。
 空冷並列多気筒エンジンの先駆であるホンダはV型多気筒エンジンに関する技術力もまた比類のないレベルにあり、世界をリードしている。

V12
F-1レーサーRA300
1967年●F-IレーサーRA300
 
V8
F-IレーサーRA302
1968年●F-IレーサーRA302
V6
F-IIレーサーラルトホンダRH6
1980年●F-IIレーサーラルトホンダRH6
 
V4
2輪GPレーサーNR500
1982年●2輪GPレーサーNR500
VF750SABRE
1982年4月●VF750SABRE
 
V2
CXEURO VT250F
1982年4月●CXEURO     1982年5月●VT250F




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