監督
金石勝智 / 中嶋悟
中嶋悟(以下、SN):F1ドライバーから引退した翌年の1992年です。
SN:10代でレースを始めて38歳で引退するまでの20年間、本当にいろいろなことがありました。その経験を生かし、若い人たちにチャンスを与えられる場所を作ろうと考えてチームを設立しました。また、ほぼ同じ時期に立ち上がった鈴鹿サーキットレーシングスクールでカートスクールやフォーミュラスクールの校長を務めることになったので、そのスクールを卒業したドライバーたちを受け入れることも想定していました。
SN:ひとことでいえば完璧なクルマを用意することです。それをドライバーが操って、ときにはミスをして結果を残せないこともあるかもしれませんが、ミスをせずに戦い抜いて優勝するというのが理想の形です。もちろん、理想どおりにいかないことは往々にしてありますが……。
SN:いいクルマを用意し、それをスタッフがしっかり準備できる環境を整えることです。そうすることで、ドライバーはほかのことに惑わされることなく、ドライビングに没頭できる環境ができあがると考えています。
SN:モータースポーツは時代時代に応じてクルマが変わったり規則が変わったりしますが、最後はドライバーとクルマの組み合わせで成績が決まるという原則は変わっていません。ただし、近年はレーシングカーにまつわるソフト面が急速に進歩した結果、人間の勘に頼る部分が減り、かわって機械やコンピューターが司る領域が増えたので、その意味ではドライバー間のタイム差がかなり小さくなり、接近戦が増えてきたことは間違いないと思います。
SN:データロガーなどクルマを管理する技術が発達したので、「あそこが違う」「ここが違う」という議論をする際には、ドライバーの感覚に加えて計測器やコンピューターが弾き出した数字を用いるようになっています。その結果、各ドライバーのタイム差も、それこそ0.001秒の領域に近づいてきて、非常に密度の高い戦いになっていると感じています。
SN:私の現役時代よりも非常にシビアな精度で勝敗が決まるわけですから、それは非常に大変だろうと思います。
SN:正直に申し上げると、日本のレースを戦っていながら、自分の気持ちは日本になく、「F1を戦っているとこんなだろうな……」という思いで戦っていました。たとえば、ポールポジションを獲得してもスタートで敢えて順位を落として、3、4番手くらいから前のドライバーを追い抜く練習をしていました。だから、1周目から後続を突き放すようなレースは、当時はほとんどしていなかったと思います。
SN:ええ。ただし、私たちの時代にはまだいろいろなことを試す余裕がありましたが、いまの彼らにそんな余裕はないはずです。
SN:エンジニアリングのレベルやメカニックの精度が上がって、スーパーフォーミュラの厳しいトップ争いに徐々に近づいているような気がします。
SN:各パートのスタッフがあともう少しずつ努力することと、同じように少しずつの運を手に入れることではないでしょうか。
SN:まさにそのとおりだと思います。
SN:少なくとも第4戦もてぎ大会の段階では、エンジンが持っている性能を十分に生かし切れていなかったという気がします。
SN:はい、そう思います。ただし、ポテンシャルは高いはずなので、今後その性能を引き出してもらえるものと期待しています。
SN:チームとしてしっかりとした結果を残したいですね。
SN:もちろん、それが理想の結果です。ただし、現在の私たちがそれを口にするのはおこがましいと思います。したがって、まずはトップと争えるようなポジションにつくことを目標にしたいですね。
SN:はい、自分たちの目標に向かって引き続き努力していきますので、今後ともご声援のほど、よろしくお願い申し上げます。
大所高所から組織の状態を見極め、長い目で必要な策を講じていくチーム監督の仕事には、ひとりひとりの担当者とはまた違った難しさがあり、異なる能力が求められる。それでも、ドライバーやエンジニアたちと同じ0.001秒の世界でしのぎを削っているのはチーム監督もまったく同じ。まさに、すべてのスタッフが心をひとつにして戦うのがレーシングチームであり、モータースポーツの世界といえるだろう。