モータースポーツ > インディカー・シリーズ > チーム&選手紹介 > A.J. フォイト・レーシング
オーナーのアンソニー・ジョセフ・フォイトは、史上初めてインディ500で4度の優勝を達成した伝説のドライバーです。もうだれにも破ることができないであろう、歴代最多の67勝をインディカーで挙げた彼は、スポーツカーのル・マン24時間耐久レースで勝利し、ストックカーのデイトナ500でも優勝しています。
そのフォイトが1994年に引退したあとも、A.J. Foyt Racingは、96年にスコット・シャープを、98年にケニー・ブラックをインディカーのシリーズチャンピオンの座に就けています。また、99年にはブラックがインディ500で優勝し、フォイトはチームオーナーとしてもインディ500制覇を成し遂げました。インディカーでの勝利からは、2002年のカンザスを最後に遠ざかっていますが、2代目のラリー・フォイトが陣頭指揮を執る体制が着実に力を伸ばしており、13年シーズンは優勝争いへと絡んでくることが期待されています。
1977年生まれ。東京都出身。少年時代からの目標だったF1ドライバーになるべく、大学に進学してから鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)を受講。同時にレーシングカートでのレース出場も開始しました。全日本F3選手権を戦ったあとにイギリスF3選手権にチャレンジし、参戦2年目の2001年に早くもシリーズチャンピオンの栄冠をつかみました。02年にJordan HondaからF1世界選手権にデビュー。テストドライバーとしての1年を挟んで、B・A・R Honda、SUPER AGURI F1 TEAMで、08年の途中までF1グランプリを戦い続け、04年のアメリカGPで日本人ドライバーとして歴代最上位タイとなる3位フィニッシュを達成し、表彰台に上がりました。
インディカーへの挑戦は2010年にスタートさせ、11年にはアイオワ・スピードウェイで日本人として初めてのポールポジションを獲得。エドモントン・シティセンター・エアポートのテンポラリー・ロードコースで2度目のポールポジションを手にしています。12年シーズンには、ブラジル・サンパウロのストリートコースで初表彰台となる3位フィニッシュを達成し、インディ500ではセンセーショナルな優勝争いをみせました。最終ラップでのアクシデントにより上位フィニッシュこそ逃しましたが、アメリカをはじめ、世界中のファンに強烈な印象を残しました。そして、シーズン中盤過ぎにエドモントンで再び優勝争いをして、キャリアベストとなる2位フィニッシュを成し遂げました。
13年は、自身にとって3チーム目となるA.J. Foyt Racingへと移籍し、自身と日本人にとって初めてとなるインディカーでの勝利を目指します。
1997 | 鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F) スカラーシップ獲得 |
---|---|
1998 | 全日本F3選手権 参戦、フォーミュラ・ボクソール・ジュニア 参戦 |
1999 | イギリス・フォーミュラ・オペル 2位、ヨーロッパ・フォーミュラ・オペル 6位 |
2000 | イギリスF3選手権 3位 |
2001 | イギリスF3選手権 チャンピオン、マールボロ・マスターズ/マカオGP 優勝 |
2002 | F1世界選手権 15位 |
2004 | F1世界選手権 8位 |
2005 | F1世界選手権 23位 |
2006 | F1世界選手権 23位 |
2007 | F1世界選手権 17位 |
2010 | インディカー・シリーズ 21位 |
2011 | インディカー・シリーズ 13位 |
2012 | インディカー・シリーズ 14位、フォーミュラ・ニッポン スポット参戦 |