Release
2011/10/16

ケーシー・ストーナーが母国GPで世界王者に輝く


本日、ケーシー・ストーナーが母国で開催されたオーストラリアGPを制し、自身2度目となるMotoGP世界選手権の年間王者に輝きました。

ストーナーは前戦日本GPでタイトルに王手をかけ、この日、詰めかけた大勢の地元ファンの前で今年何度も見られたような独走で優勝。見事、チャンピオンに輝きました。また、10月16日はストーナーの26回目の誕生日でもあり、これ以上ない最高の形で自ら祝福しました。

若き日のストーナーは、彼の夢であったプレミアカテゴリーに参加するため、14歳の誕生日の直後に家族とともに英国に移り住みました。オーストラリアでは法律のために16歳までロードレースに参加できなかったため、すでにレースに臨む準備ができていると感じていたストーナーは、その年齢で参戦できる英国への移住を決意。大きなリスクをともなう決断でしたが、結果は上々でした。

英国での初戦から、ストーナーの走りは早くもスポンサーを魅了し、参戦1年目にして、2000年英国125ccアプリリア選手権への参戦を果たしました。また同年、ストーナーはスペイン125cc選手権にも2レース参加。そこで元GPライダーのアルベルト・プーチと知り合いました。ストーナーの決断力と技術に感心したプーチは、翌年のスペイン125cc選手権にTelefonica Movistar Teamから参加するよう要請しました。

2001年、ストーナーは英国とスペイン両国の選手権に参加。スケジュールの都合上、英国選手権の数戦はエントリーできなかったにも関わらず、両選手権で年間2位を獲得しました。さらに同年、彼は世界選手権のイギリスGPおよびオーストラリアGPの125ccクラスにワイルドカードで参加。それぞれ17位、12位という結果を残し、翌年のSafilo Oxydo LCRからの年間参戦を勝ち取りました。また、このレースが彼にとってフィリップ・アイランドのデビュー戦となりました。

1年目から、ストーナーは250ccマシンでシリーズに参戦。わずか16歳ながら、ブルノで5位、その他複数のレースで6位を記録し、その能力とスピードを証明しました。2003年は、Lucio and Safilo Oxydo LCRから125ccクラスに参戦。シーズン最終戦バレンシアGPでの初勝利を含む4度の表彰台を獲得しました。このGP初勝利が、ストーナーのキャリアの大きなターニングポイントとなりました。

2004年、ストーナーはKTMに移籍。125ccマシンの開発を助け、優勝を狙えるマシンへと育てました。その年ストーナーは6度の表彰台を獲得。さらに、KTMにGP初勝利をもたらしました。2005年、ルーチョ・チェッキネロのチームに温かく迎え入れられたストーナーは、アプリリアのファクトリーマシンで250ccクラスに参戦。同クラスに参戦していたダニ・ペドロサとチャンピオンシップを争い、ポルトガル、上海、セパン、カタール、イスタンブールでの優勝を含む10度の表彰台を獲得しました。

そして2006年、20歳になったストーナーは、長年の夢であった最高峰クラスへの参戦を果たします。参戦2戦目のカタールGPでは早くもポールポジションを獲得。トルコGPでは最終コーナーまで優勝を争い、わずかな差でマルコ・メランドリに敗れたものの、2位に入りました。シーズン後半は多くのミスに悩まされたものの、年間8位でMotoGPクラスのルーキーイヤーを終え、最高峰クラスでも十分戦えることを示しました。

2007年には、よき友人でもあるロリス・カピロッシとともにDucati Marlboro Teamに参加。開幕レースとなるカタールGPで初勝利を挙げると、その後も快調に勝利を積み上げ、9月23日、もてぎで開催された日本GPで年間チャンピオンの座に輝きました。ストーナーはこの年10勝を挙げ、圧倒的な強さを見せつけました。21歳での最高峰クラスのチャンピオン獲得は、米国の伝説的ライダーであるフレディ・スペンサーに次ぐ史上2番目の若さ。なお、スペンサーが1983年に年間王者を獲得したのは、ストーナーの勝利よりわずか84日前のことです。

今年2レースを残して優勝を決めたストーナーですが、すでに優勝9回、2位が1回、3位が5回と、15回の表彰台を獲得。Repsol Honda Teamでの初年度は、実にすばらしい一年となりました。自身2度目のワールドチャンピオンであり、2つのメーカーで参戦初年度に優勝したのはストーナーが史上初となります(2007年にドゥカティ、2011年にHondaの800ccマシンでそれぞれ参戦初年度に優勝)。また、ストーナーは今年、転倒に巻き込まれてリタイアを喫したスペインGP(ヘレス)を除くすべてのレースで表彰台に立っています。

また今シーズン、これらの表彰台獲得に加え、シルバーストーン、ムジェロ、インディアナポリス、ミサノ、アラゴン、ツインリンクもてぎの6つのサーキットでラップレコードを更新しています。

彼が初めて年間王者になった2007年、ストーナーは10勝を挙げ、2位と3位がそれぞれ2回ずつありました。またこの年は、すべてのレースで完走しており、最も悪いリザルトは6位でした。

2001年、ドニントン・パークで開催されたイギリスGP 125ccクラスでデビューして以来、ストーナーはロードレース世界選手権で通算39勝を挙げています。初勝利は2003年バレンシアの125ccクラス。また、39勝のうち実に32勝が最高峰クラスで挙げたものです。表彰台獲得は78回で、そのうち58回がMotoGPクラス。ポールポジションは通算37回、MotoGPクラスでは33回獲得しています。

2006年にMotoGPクラスに参戦して以来、ストーナーは32勝を挙げています。これは過去6年間で最も良い成績であり、通算でもバレンティーノ・ロッシ(79勝)、ジャコモ・アゴスティーニ(68勝)、ミック・ドゥーハン(54勝)、マイク・ヘイルウッド(37勝)に次いで、史上5番目の好成績になります。

CASEY STONER
 
ケーシー・ストーナー(2011年MotoGP世界チャンピオン)
 
「今日は信じられない一日になりました。我々はずっとこの日を待っていましたし、今日ここで優勝を決定できるチャンスがあることも知っていました。今朝ロレンソがクラッシュしたことは、我々が望んだ結果ではありませんでした。どんなレーサーも、他人のアクシデントを望んだりしませんし、それが尊敬すべきライバルであればなおさらです。彼の一刻も早い回復を祈ります。今日のレースに向けた我々の意気込みは強かったですが、多かれ少なかれ負ける可能性もありました。そのため、勝つために必要な準備をすべて行いました。結果、勝利を挙げることができて、本当によかったです。Honda、私のチーム、レプソルをはじめすべてのスポンサー、そして今年一生懸命働いてくれたすべての人たちに感謝します。今日の勝利はみんなで勝ち取ったものです。シーズンはまだ数戦残っていますが、世界チャンピオンとしてレースを楽しみたいです」

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