今年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードのテーマは「Spark of Genius(天才のきらめき)」。天才といってもさまざまあるが、限界を超えることのできるクルマとドライバー、そして強い意志が一堂に会することができたというところだろう。
たしかに、豪雨の中でも何事もなかったように、エンジン全開でコースを突っ走るマシンを見ていると、ただ者ではない天才たちであると実感する。この国では、クルマは文化なのだ。
会場に着くとまず、例年のようにグッドウッド・ハウス正面に飾られるモニュメントを見る。今年のモニュメントは、鳥居のような高さ30mはあろうという巨大な数個の枠組みの奥から、今年ホストメーカーを務めるトヨタの歴代レーシング・マシンが数珠つなぎで降りてくるというもの。その下には、2007年仕様のF1マシンなどが展示されていた。
朝9時半頃に会場に到着すると、数個所ある広い駐車のほぼ7割程度はすでに埋まっていた。あとからあとから、ひっきりなしにクルマが入ってくる。この一般観客が乗って来るクルマを見ているだけでも「これぞグッドウッド!」という感じがする。
古くは1950年代のライレーやウーズレー、ローバー、ヒルマン、オースティン、MGなどを始めとして、中にはレプリカーやキットカーに混じって、本来ならグッドウッドの本コースを走ってもおかしくないほどのヴィンテージカーやクラシックカーが入ってくる。
そんなクルマの1つである1930年代のベントレー・サルーンで駐車場に入って来たオーナーの一人に尋ねたことがある。「何でこのクルマでイベントに参加しないのですか?」と。返ってきた答えは「いや、僕のベントレー 4 1/2Lはこのイベントの常連なんだよ。今日も走ると思うよ。ぜひ見てやってくれたまえ・・・」というものだった。
観客に20歳代の若い人たちはもとより、家族でやってくる人たちが多いことも特徴だ。当然子供たちの数も半端ではないのだが、そのマナーのよさには感心させられる。たとえば、子供たちが展示してあるクルマに触ろうとすれば、母親なり父親が必ず注意しているし、子供たち同士でも「それ、触っちゃいけないんだよ」と注意しあう光景も珍しくない。やはり、この国にとってクルマは文化なのだ。
突然、パドックの方でF1マシン特有の甲高いエンジン・サウンドが響き渡った。いよいよ、今日のプログラムの始まりである。1993年に第1回が開催され、今年で15年目となるグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードだが、毎回テーマが決められて、それに準じたイベントや展示が行われるのが慣例となっている。
今年もHondaはF1マシンを3台(1968年のRA301、1986年のWilliams Honda FW11、そして2007年のRA107)とモーターサイクルを8台(1962年のRC145、1966年のRC173など)を持ち込んでいる。
ドライバーは、実際に1968年にこのマシンで戦ったジョン・サーティースその人がステアリングを握る。FW11は現役のF1ドライバー、アンソニー・デビッドソンと、ジル・ド・フェランが走らせ、最新のRA107はジェンソン・バトンに委ねられるといった具合だ。
モーターサイクルのライダーも豪華なメンバーがそろう。トミー・ロブ、ルイジ・タベリ、ボブ・ヒース、スチュアート・グラハム、ジム・レッドマン、などそうそうたる顔が並ぶ。多くのライダーは、すでに還暦をとうに過ぎているはずだが、マシンにまたがればフル・スロットルでコースを駆け抜ける。