ヨーロッパ耐久レース Honda無敵艦隊の軌跡 1976~1979

2016-2017FIM世界耐久選手権(EWC)シリーズには、Hondaのマシン「CBR1000RR」を駆るチームとしてHonda Endurance RacingとF.C.C. TSR Hondaの2チームが参戦。最終戦の鈴鹿8時間耐久ロードレースまで続く全6戦のシリーズを戦っています。そのEWCの前身がヨーロッパ耐久レース。1970年代には、Hondaチームが4年間にわたってライダータイトルとメーカータイトルを独占し、その強さゆえに「無敵艦隊」と呼ばれました。ヨーロッパ耐久レースでのHondaチームの軌跡を振り返ります。

1979 隆盛しゆく大排気量4ストロークレース。
新世代マシンへのバトンタッチ

ジャン・クロード・シュマラン (1979年 ル・マン24時間)
ジャン・クロード・シュマラン (1979年 ル・マン24時間)

 RCB軍団が耐久レースを席巻する中、ヨーロッパでは1977年から、使用するエンジンを市販車ベースと定めたTT-F1選手権が開催されていた。RSCは拡大傾向にあった大排気量4ストロークレースを視野に入れ、CB900F/750Fのエンジンをベースに使うエンジンキットパーツとしてRS1000を開発(ヨーロッパ向けはCB900Fベース、日本や北米向けはCB750Fベース)。前年までのRCB1000よりも多くの人々にHondaワークスの技術やノウハウを提供する形になった。なお、従来の現地法人や有力ディーラーチームには、コンプリートマシンのRS1000を供給。車体は482のものと、482をベースにしたRS1000専用のものが使われた。

 さらにRSCは、TT-F1レギュレーションに規制されないボルドール24時間などのオープンクラスのレース用に、482の進化型と言える耐久仕様のRS1000(開発コード482B)も用意した。バルブタイミングやリフト量、圧縮比の変更により、最高出力は126PS/9,500rpmと、482から3%ほど低く設定されている。また、レースによっては481Aや482も併用された。市販RS1000とワークスRS1000とも呼ぶべき482Bは、ともにCB900F/750Fのエンジンを原資として使用する点で一卵性双生児と言うべき関係だが、RS1000はボア×ストローク64.5×69mmのCB900Fを基準とした67.8×69mm=996ccであるのに対し、482BはそれまでのRCB1000と同じ70×64.8mm=997ccとされた。また、この年のエンジン打刻はRS1000E-0101から始まる490系(主に市販向け)と482-0001から始まるワークス仕様の二通りの数字記号があったが、公式には1979年からマシンはすべてRS1000と呼ばれている。マシンがすべてRSCの管轄になったからである。

RS1000 (1981年 鈴鹿8時間優勝車)
RS1000 (1981年 鈴鹿8時間優勝車)

 この年の1戦目、ヨーロッパ耐久選手権の開幕戦ル・マン24時間では、前年型をモディファイした482を走らせたクリスチャン・レオン/ジャン・クロード・シュマラン組が優勝。2位には481を駆るジャポートのマーク・フォンタン/ギー・バルタン、3位には492を走らせたブラジルのHonda フォーミュラG(エドマー・フェレイラ/ウォルター・バーチ組)と、早くも表彰台を独占した。なお、このル・マン24時間の予選でレオン/シュマラン組が使用した482は、二輪レースでは初めてEFI(電子制御燃料噴射装置)を装着したマシンであった(雨による電気系統トラブルのため決勝では未使用)。

クリスチャン・レオン (1979年 ル・マン24時間)
クリスチャン・レオン
(1979年 ル・マン24時間)

マーク・フォンタン (1979年 ル・マン24時間)
マーク・フォンタン
(1979年 ル・マン24時間)

ギー・バルタン (1979年 ル・マン24時間)
ギー・バルタン
(1979年 ル・マン24時間)

エドマー・フェレイラ (1979年 ル・マン24時間)
エドマー・フェレイラ
(1979年 ル・マン24時間)

 Hondaは'70年代半ばから環境問題を視野に入れたEFIの開発に着手し、朝霞研究所内の気化器研究所でCB750FOURのエンジンを用いた研究を進めていた。1978年に社内評価で好感触が得られたことから、実戦テストとして急きょヨーロッパ耐久レースへの投入が決定。「1979年初戦のル・マン24時間から投入し、ヨーロッパ耐久レースで少なくとも1勝すること」を目標に、およそ半年という短期間で482用EFIが製作された。このEFIは、各気筒に設けられたインジェクターが吸入タイミングにあわせて燃料を噴射するタイムドインジェクション方式で、制御システムにはスロットル開度とエンジン回転速度から吸入空気量を推定するスロットルスピード方式を、噴射燃料量の演算には16ビットECUを採用したものだった。ベンチテストでは、キャブレター仕様を上回る最高出力を発揮したが、エンジンの振動が増大したこととスロットルレスポンスが過敏すぎたことから、クランクシャフトが金属疲労を起こして破断することもあった。

 さて、開幕戦の活躍からこの年もHonda健在と思われたが、雨に見舞われた2戦目のアッセン6時間で、ついに足かけ4年、16連勝というシリーズ連勝記録がついえてしまった。レオン/シュマラン組は2度の転倒を喫し、トップから9周遅れの7位。その他のHonda勢も5−6位にとどまった(EFI仕様車は不投入)。優勝はフランスカワサキのワークスZ1000を駆るクリスチャン・ユゲ/エルブ・モアノー組。2位はドゥカティ(ビクター・パロモ/マリオ・レガ)、3位はヤマハTZ750(ゾーリー・ウィリアム/ディック・アルブラズ)、4位にもカワサキ(ジャン・ベルナール・ペアー/モーリス・マングレ)が滑り込み、まるで1975年以前の耐久レースに戻ったような結果である。

 チームは3戦目のニュルブルクリンク8時間で、最高出力が有利なEFI仕様車を再投入。レオン/シュマラン組が駆るEFI仕様車は、微妙なスロットルワーク下におけるコントロール性に問題はあったが、周回数は前年の優勝周回数を2周上回る53周、平均スピードは約6km/hの向上を記録して優勝を果たした。続くモンジュイック24時間でも、前年より10周多い773周という圧倒的な周回数で優勝。この2連勝でEFIの出力的優位性を実証するなどの結果を得ることができた。EFI仕様車は5戦目の鈴鹿8時間にも投入されたが、セッティングが決まらないことから決勝での使用は見送られ、そのままプロジェクトは終了した。なお、同プロジェクトに携わったスタッフはその後も技術研究を追求し、1982年に市販されたCX500 TURBOのEFIを開発。さらには、先のEFIを源流とするシステムが'80年代の四輪F2やF1にも用いられたほか、電波ノイズが電気系統に及ぼす影響をテストした際の無線システムは後のテレメーターシステムの原点となった。

クリスチャン・レオン
クリスチャン・レオン (1979年 モンジュイック24時間)

ジャン・クロード・シュマラン
ジャン・クロード・シュマラン (1979年 モンジュイック24時間)

 RS1000が活躍する場はヨーロッパ耐久レースにとどまらなかった。同年、マン島で行われたTT-F1世界選手権で、Hondaブリテンのアレックス・ジョージがスプリント仕様のRS1000で優勝。2位にチャーリー・ウイリアムス、3位にロン・ハスラムが続き、Hondaブリテンが1-2-3位を独占した。また、ジョージはクラシックTT以前にマン島で行われていたWGPと同内容のレースにも出走。スズキRG500に乗るマイク・ヘイルウッドと激しく競り合い、終盤に追い上げて逆転優勝を果たしている。