ヨーロッパ耐久レース Honda無敵艦隊の軌跡 1976~1979

2016-2017FIM世界耐久選手権(EWC)シリーズには、Hondaのマシン「CBR1000RR」を駆るチームとしてHonda Endurance RacingとF.C.C. TSR Hondaの2チームが参戦。最終戦の鈴鹿8時間耐久ロードレースまで続く全6戦のシリーズを戦っています。そのEWCの前身がヨーロッパ耐久レース。1970年代には、Hondaチームが4年間にわたってライダータイトルとメーカータイトルを独占し、その強さゆえに「無敵艦隊」と呼ばれました。ヨーロッパ耐久レースでのHondaチームの軌跡を振り返ります。

1975 ヨーロッパ耐久レースで勝利するためのマシン「RCB」を半年で開発

 HERTスタッフ秋鹿監督(中央)、クリスチャン・レオン(右)、ジャン・クロード・シュマラン(左)
HERTスタッフ 秋鹿監督(中央)、クリスチャン・レオン(右)、ジャン・クロード・シュマラン(左)

 苦戦を強いられる現地法人チームを支援する目的で、Hondaはついに国際レースへの復帰を決定。1975年11月にHERT(Honda Endurance Racing Team)が結成された。監督には60年代にWGPを戦った秋鹿方彦(あいか みちひこ)が着任。秋鹿監督はHondaの創成期からレース活動一筋に携わってきた人物だが、耐久レースへの参戦は初めてのことだった。Honda本社の専務会で監督に推挙され、その場で川島喜八郎副社長に「勝て」と言われたものの、なにも分からず途方に暮れたという。

 そんな秋鹿監督が参加メンバーの選抜にあたって調査を始めたところ、社内のWGP経験者が全国に散らばっていて収集がかなわないことを知った。過去の経験に頼るわけにはいかず、マシンにしても当時より高度な性能が求められる。ならば、初めて本格的な耐久レースに出場するのだから、すべてを白紙から始めてみようと思い、マシンの設計者もメカニックも、若くてレース未経験という人材ばかりを集めた。

クリスチャン・レオン(76年 ザンドヴォルト600キロ)
クリスチャン・レオン
(76年 ザンドヴォルト600キロ)

チャーリー・ウイリアムス(76年 ザンドヴォルト600キロ)
チャーリー・ウイリアムス
(76年 ザンドヴォルト600キロ)

 秋鹿監督の下には、朝霞研究所だけでなく狭山・浜松・鈴鹿の各製作所からもプロジェクトへの参加希望者が集結。レース未経験者も含まれた陣容であったが、かつてのWGP経験者や量産部門からのサポートも行われた。こうして、HondaはWGP撤退から9年ぶりに二輪レースにおけるワークス活動を再開した。目標はボルドール24時間の勝利と、ヨーロッパ耐久選手権のタイトル。その初陣を翌年76年4月25日のザンドヴォルト600キロ(オランダ)と定め、マシンの開発を急いだ。持ち時間は、わずか半年に満たなかった。

 ヨーロッパ耐久選手権の参戦にあたり、当初の提案書では従来になかったV型4気筒エンジンも検討材料に挙がったが、短い開発時間の中では手持ちのエンジンをベースに開発を進めることが妥当という判断が下された。すぐさま図面を現物に起こしたエンジンは、CB750FOURのクランクケース寸法をベースに、排気量を拡大したものだった。寸法を共通化することでCB750FOURのシフトアームやシフトドラム、トランスミッションのシャフトなどの部品を流用し、製作時間を短縮しようというアイデアである。

RCB1000(開発コード480)(76年)
RCB1000(開発コード480)(76年)

RCB1000(開発コード480)(76年)
RCB1000(開発コード480)(76年)

 ただし、CB750FOURと共通なのはエンジンハンガーボルトの位置やクランクケースの軸配置などであり、クランクケースの材質や内部構造、シリンダーから上部はオリジナルの新設計とされた。シリンダーヘッドはDOHC 4バルブ化され、カム駆動はセミ・カムギアトレーンとも呼ぶべき形式に変更。これは、2本のカムの間にアイドルギアを設け、それをクランクからチェーンで駆動するものである。同時に、CB750FOURの67PSから目標出力100PSへ大幅に引き上げられる最高出力に対処するため、1次減速もチェーン駆動からギア駆動に変更された。また、クランクシャフトも新設計され、軸受けにはRCレーサーで使われていたボールベアリングではなく、プレーンメタルがHondaのレーシングマシンで初めて採用された。エンジンの耐久性のボーダーラインは“5000kmノーメンテナンス”。当時の24時間レースの総走行距離の1.7倍近い距離を想定した。

RCB1000 エンジン
RCB1000 エンジン

RCB1000 エンジン
RCB1000 エンジン

 また、排気系は60年代のGPマシンのような各気筒独立式ではなく、よりパワーの出る集合式を採用。車体は新設計のダブルクレードルフレーム形式で、RCレーサーの図面を参考に若いエンジニアが設計した。これに、現地法人チームからの情報を基に取り寄せた、マグネシウムホイールやディスクブレーキ、リアショックなどのレースで使用実績がある社外パーツを取り付けた。限られた製作時間の中で、できるだけ早期に車体の完成度を高めるためである。

 製作時間の短縮という点では、エンジン排気量も段階的に引き上げられた。構想ではボア×ストロークが70.0×64.8mm=997ccのエンジンが基本とされたが、ボアが64mmであるCB750FOURのエンジンでは、一気にボアを70mmまで拡大するのはシリンダーの剛性を確保するうえで無理があると判断。そのため、4月の開幕戦に間に合わせるための最初の製造ロットは68.0×63.0mm=915.2ccとし、その次に本番車としてストロークを延長した68.0×64.8mm=941.3ccの第2ロットエンジンを導入する計画を立てた。

 このように急ピッチで製作されたマシンは、76年3月16日の耐久選手権出場公式発表に合わせて初号機のテストが国内で開始され、4月初めには2号機が現地テストのためフランスに空輸された。このHonda初の耐久ワークスマシンは、RCB1000(開発コード480)と命名された。RCBとは、Racing CBの意である。