ビートにはまって英語が上達。
- クラブのメンバーさん (40代/静岡県)
- バージョンC
2008年10月17日の投稿
我が初代ビー子は平成5年式カーニバルイエロー。完全にはまりました。車の運転って、楽しいんだ!初めて知ったといっていいでしょう。それで興奮してホームページを開設したら、イギリスから英語でメールをもらいました。
「イギリスでもクラブを作る予定だけど、名前がまだ決まらない…。」なんだかヘンテコな日本語の名前が候補になってましたが、そりゃあ、シンプルにビートの名前を入れるクラブ名がいいでしょうと助言。本当にそのクラブは立ち上がりました。
アフリカで乗っているという人もいました。道路にでっかい穴ボコがあって、ビートがすっぽりはまるんだそうです。「それでもビートは最高だ!」という熱い声をもらいました。
イギリスからは頼まれてビートのオプションパーツなど送ったこともあります。とにかくビート乗りは熱いです。
とはいえ、それからもう十年以上が経ちます。若者だったビート乗りたちも、平均年齢が上がってきました。おやじ、おばちゃんになって、落ち着いてきたようでもあります。
うちのビー子も写真の二代目。B社のPタイヤで前を低く、無限のサスで車高は1150mm、スペアタイヤとエアコンを外して740kgの軽量仕様。ますますドライビングが楽しいんですが、以前ほどには乗りません。というより、フルカバーをかけて車庫で寝てばかりいます。ひと月に一度、乗るかどうか、年に500kmも走るかどうかという状況です。
しかしそれでも手放せません。ごくたまにでも乗れば楽しくてしょうがないですから、とうてい手放すことはできないのです。おそらく、将来ガソリン使用禁止の時代が来ても、闇ルートでガソリンを仕入れて乗ることになるでしょう。
2004年には、フランスからHonda車ファンの学生が二人、2005年には、イギリスからクラブの代表も遊びに来てくれて、それぞれ我が家にしばらく滞在してくれました。フランス人の学生には丸一日以上、ドライブで運転させ、イギリス人の代表にも、うちのビートはどうだとばかりに運転してもらいました。今度こっちからイギリスへ行っても、クラブのビートを借りてドライブできるはずです。
イギリスとのメールは、今でもほとんど毎日続いています。おかげで英語が上達しました。これもビートのおかげです。