命尽きるまで
- 148ma@ta9さん (40代/北海道)
- Ver.C
2008年10月2日の投稿
Honda ビート
創業者(故)本田宗一郎が亡くなる前に最後に見届けた車
私はこの小さなオープンカーの魅力に相当に参っている。自分の車はH4年式Ver.Cだが、実は2台目のビートだ。
一台目のH3年式標準車(カーニバルイエロー)は友人と二人でディーラーに行き、二台同時に即決購入した。私は20代前半、初めてのマイカーだった。通勤に遊びに長距離帰省に黄色いオープンカーは大活躍だったが、自分のライフスタイルの変化から不自由を感じる事も多々あった。
彼女が出来(後の妻)、趣味(スノボ)に使うには荷物の積めない車は【使えない】ように思えた。…それこそがその車の最大の魅力だったのに…その時の自分にはその車が楽しい事は解ってたし、好きだった。が他の事を優先して一度その車を降りてしまった。新しい車を買う事にワクワクしたし、もっと楽しい生活になるだろうと思い込んでいた…。
新しい車(2代目USアコードワゴン)はいい車だったけど、初めて遠出した日にはもうビートを手放した事を後悔していた…。その後何台か車を乗り継いだけどビートを運転している時のワクワク感は感じられなかった。
ある時、妻に言った。『ビートにもう一度、乗りたいんだ』
妻はその時乗っていた車に不満は無かったのでビックリした顔をして一度は否定した。自分は妻に土下座して頼んだ。
(妻に土下座したのは今まででその一回だけだ)
自分の熱意に渋々了承してくれた妻に感謝している。
一台目の時は出来なかった2台持つという選択でビートを維持していける。そうして探し出した自分のビートはH4年式Ver.Cの走行10000kmの極上物♪少しづつ自分の好みに合わせモディファイしながら付き合ってきた。
自分がオーナーになって9年余り、走行距離は先日50000kmを越えた。走行があまり増えないのは冬季間の道路に撒かれる塩カルが恐いので車庫で『冬眠』させるからw
今ではビートを通じて出来たかけがえのない仲間達と、春〜秋にかけ週末をビートと共に楽しんでいる。自分の命が尽きるか、ビートが修理不能になるその時まで私のそばにいつまでもいて欲しい。本当にこんな素晴らしい車を作っていただいた事に深く感謝しています。
出来うるならば同じコンセプトで(軽量・ミッドシップ・オープン)新型ビートを誕生させていただけるよう強くお願い致します。