アコードユーロR

時代が追い付けないアコード

moon flowerさん (60代/三重県)

2013年10月14日の投稿

私は愛車アコードを自分の身体の一部と考えて、意のままに運転操作したいと常々考えている。従っていつも出かける時はアコードとともに行動するように努めていて、アコードの鼓動というべきか息遣いが聞こえてくるようで、ハンドルを握っていながら視界はドラマティックである。アコードの可能性を探りたいとの欲求から年齢もわきまえず走行テストのようなツアーとなりがちで、私のわがままでアコードには辛い試練が相変わらず続いているが、全く弱音を吐くこともなく淡々と路面を追い続けているひたむきな姿に脱帽である。きっと私の運転ではアコードの持つ能力の半分程度の、いやそれ以下の力しか発揮してないようだが、限界知らずの常に余裕のある表情と排気音で大人の走りを体感させてくれる。もっとアコードの才能を引き出してくれるドライバーがいれば、私以上に楽しく運転操作を謳歌することができるだろう。身分相応という言葉があるが、私にアコードはもったいなく、逆にアコードはどんなドライバーも裏切らないやさしく包容力のある柔軟で希少価値の名車であると信じている。時代がまだアコードに追いついていないだけなのである。

アコードユーロR
アコードユーロR