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1991年(平成3年)
社 内 事 項 業界・一般事項
1月 F1プロジェクトチーム、埼玉県民栄誉章を受章
  イタリアに補修部品の物流会社、ホンダ・パーツ・イタリー設立(1996年4月にホンダ・ロジスティックスセンター・イタリー〈HLC―IT〉に社名変更)
2月 本田最高顧問、全米二輪自工会主催のMIC KEY AWARD特別賞を受賞
  HAMエンジン工場でエンジン生産累計100万台を達成
  高密度・集約型四輪車体塗装システム(EGと鈴鹿製作所の共同開発)が第37回大河内記念生産賞を受賞
3月 大幅な組織改革を実施
  ホンダエンジン、F1ブラジルGPで通算60勝達成
  フィリピンのHCPIにて、四輪車のSKD生産開始
  ローバーグループ社と、シンクロ(アコード)の生産、コンチェルトの開発などの新たな協力関係について覚書に調印
4月 繊維強化複合材料の採用による軽量・コンパクトエンジンの開発(EGとHGTの共同開発)が平成2年度日本機械学会賞・技術賞を受賞
  (株)ホンダ・パーキング設立
  ユニセフ(国連児童基金)へ湾岸難民救済活動寄付金を贈呈
5月 HAM二輪車工場、生産台数累計50万台を達成
  ホンダ大阪ビルが完成
  平成3年度全国発明表彰で「車両の舵角応動型四輪操舵システムの開発」が特別賞・内閣総理大臣発明賞を、川本社長が同賞の発明実施功績賞を、「小型携帯発動発電機(EX300)の意匠」が発明賞を受賞
  鈴鹿製作所ハンドボール部、全日本実業団選手権大会で優勝(1992年も連勝)
  インドネシアのHAEM、二輪車用エンジン生産累計100万台を達成
6月 電動バイク、ホンダCUV−ESプロトタイプを第6回低公害車フェアへ出展
7月 ホンダのワークス・チームが鈴鹿8耐で優勝(1992年も連勝)
8月 本田宗一郎最高顧問逝去(5日、享年84歳)
  鈴鹿製作所での二輪生産を終了し、熊本製作所と浜松製作所へ移管
9月 本田宗一郎「お礼の会」開催。本社・栃木・浜松・鈴鹿・熊本・埼玉の6会場で延べ6万2000人が来場
  EG男子ソフトボール部、第37回全日本一般男子ソフトボール選手権大会で優勝
  パキスタンのアトラス・オートス(AAL)、二輪車生産・販売累計50万台を達成
10月 F1日本GPでホンダ・マールボロ・マクラーレンチームがコンストラクターズチャンピオンを、A.セナがドライバーズチャンピオンを獲得
  ローバーグループ社と新たな協力関係についての覚書に調印
  システムセンターが和光工場内に完成
11月 東欧初の事業所、プラハ事務所(HPR)を設立
  市場での使用済みプラスチックバンパーの回収・リサイクルを国内自動車メーカーでは初めて、本格的にスタート
12月 シビックが '91− '92日本カー・オブ・ザ・イヤーを、VTECエンジンがRJCテクノロジー・オブ・ザ・イヤーを受賞
  故本田最高顧問、RJCマン・オブ・ザ・イヤーの特別賞を受賞
  パビーラ御殿場オープン
2月 クウェート解放。湾岸戦争終結
4月 東京・新宿区に新都庁舎が開庁
  ゴルバチョフ・ソ連大統領、ソ連の元首として初の来日
  英国日産、SMMT(英国自動車製造販売業者協会)より日本の自動車メーカーとして初の英国企業に正式認可される
5月 育児休業法が成立
6月 長崎県雲仙普賢岳で火砕流発生
  南アフリカ共和国、アパルトヘイト(人種隔離)体制の終結を宣言
  クロアチア・スロベニア両共和国がユーゴスラビアから独立宣言
7月 改正車庫法施行
  ワルシャワ条約機構が解体、ソ連支配の東欧ブロック消滅
  証券・金融の不祥事が相次いで明るみに出る
  モスクワの米ソ首脳会談で戦略兵器削減条約(START)調印
8月 ソ連でクーデター発生、共産党解体
  三菱自工・ボルボの合弁にルノーが参加
9月 南北朝鮮が国連加盟
10月 ミャンマーのアウン・サン・スー・チー、ノーベル平和賞を受賞
  リサイクル法施行
12月 「欧州連合」創設合意、欧州共同体(EC)首脳会議で統一通貨採用と共通の外交、安保政策の導入を決定
  ソ連から11共和国が独立し、ソ連邦消滅


主 要 製 品
二輪車 NS−1、ジェイド、ナイトホーク750、ゼルビス、XL−ディグリー、CR125R、トランザルプ400V、モンキー バハ、EZ SNOW
四輪車/汎用製品 ビート、シビック(5代目スポーツシビック)、シビックフェリオ、アコードワゴン(HAM製)、プレリュード(4代目)、レジェンドクーペ(2代目)、チェロキー(クライスラー社製)、ラングラー(クライスラー社製)
除雪機SB665(スノーブル)、発電機EX2200

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