耕す女子たち vol.8

ガスパワー耕うん機「ピアンタ」で、うどんやピザなどにする自家用の小麦の畑を耕す康子さん。
夫・憲治さんとさわやかな秋空のもと、今日も仲良く野良仕事

季刊うかたま
http://www.ukatama.net/  
写真=高木あつ子 文=おおいまちこ

1本の映画がきっかけで農を知り、出会いがあり、今の自分がいる。価値観をともにする夫と自然に囲まれながらの農的暮らしに大満足。
そんな幸せいっぱいの耕す女子を紹介します。

今回の耕す女子

茨城県常陸大宮市宮永康子さん(みやながやすこさん)
1975年生まれ。東京都文京区出身。畑歴は約3年。大学卒業後、アパレル会社に2年、その後、医療機関に勤務。2008年4月から8月まで、埼玉県小川町の有機農家で研修を受る。同年10月に結婚し、茨城県常陸大宮市に移住。農園「環の花」を経営している。

豊かな自然に囲まれて

「この道をまっすぐ下って行ったところに、畑を借りているんです」

そういって、宮永康子さんがてくてくと歩いて行った先には、のどかで懐かしい農村風景が広がっていた。

畑があるのは、三方を山に囲まれた小さな盆地のような場所。周囲には取り囲むように川が流れており、耳をすますと、せせらぎが聞こえてくる。隣の畑ではちょうどソバの白い花が満開で、その奥には築何百年という茅葺きの民家が見える。農家になって3年目の康子さんは、そんなゆったりとした時間の流れる環境のもと、夫の憲治さんとともに、農作業に精を出す毎日だ。

畑には、ダイコンやハクサイなどの秋冬野菜が植わっている。その一角を、康子さんは自家用の小麦の種をまくため、ガスパワー耕うん機「ピアンタ」で耕し始めた。

「コンパクトで軽いので、私にも手軽に扱えます」と、ゆっくりと、ていねいに畑を耕していく。

隣の畑では、2人の畑の地主である鈴木俊男さんが芋掘りをしていた。挨拶に駆け寄ると、「家で食べなさい」と、収穫したばかりのサツマイモをくれた。さっそくサツマイモを洗いに川辺に下りる。エメラルド色に輝くこの川で、夏場は作業の合間に水浴びすることもあるという。2人とも、豊かな自然に恵まれた暮らしをおおいに満喫している様子だ。

畑のそばを流れる緒川は、川底が見えるほど水が透きとおっていてきれい
広々とした鶏舎で鶏たちはのびのび、元気いっぱい。外の運動場とも自由に行き来できるようにしている
レタス苗の植え付け作業。野菜は、無農薬、無化学肥料で栽培。「日々、勉強です」

きっかけは1本の映画

“農”とはまったく縁なく生きてきたという康子さん。今、こうして農家をしているのは、2007年に観た、アル・ゴア元米副大統領のドキュメンタリー映画『不都合な真実』がきっかけだそうだ。

地球温暖化の現状を訴えるこの映画を観て衝撃を受けた康子さんは、「ちっぽけなことでも自分にできることをやろう」と、環境NGOで植林などのボランティア活動を始めた。しだいに農の大切さを感じるようになり、同年5月、神奈川県相模原市(旧藤野町)で開かれた(*)パーマカルチャー体験講座に参加。そこで、憲治さんと出会った。

かたや憲治さんは、当時37歳。35歳のときに、長年勤めた東京のアパレル会社を退職し、農的な暮らしを夢見て栃木県那須烏山市の「帰農志塾」の塾生となった。2年間、有機農業や自然養鶏を学んだのち、就農を目指して、実家のある茨城県水戸市周辺で家や土地を探している合間に、この講座に参加した。

2泊3日という短い時間だったが、2人は意気投合し、交際が始まった。その後、康子さんも埼玉県小川町の「霜里農場」で有機農業の研修を受けたことで、あらためて循環型農業の奥深さを知り、憲治さんと一緒に農業をやっていくことを決意。2008年10月に結婚し、農家としての生活がスタートしたのだった。

*恒久的に持続可能な環境をつくり出す農と暮らしの考え方

鈴木さん夫妻には、畑仕事を教わったり、「何かとお世話になっているんです」と、康子さん
ピアンタには移動用車輪一体型のキャリースタンドとキャリーボックスが標準装備され、移動や収納もラクラク
「環の花」のお客さんには、米ぬかなどを醗酵させたエサを与えた鶏の卵と、季節の野菜をセットで届けている

康子さんがはおっているモスグリーン色の上着は、憲治さんがアパレル会社に勤めていたときにデザインした服だとか。「パッと脱ぎ着できるし、動きやすいから農作業に便利。軽いし、あったかいし、おしゃれなので、私のいちばんのお気に入りです!」

生産者になって見えてきたこと

2人の住まいは、水戸市中心部から車で約1時間、常陸大宮市美和地区(旧美和村)の山間の集落にある。縁あって購入した家は、明治21年築の茅葺きの古民家。柱も傾きかけた状態だったが、憲治さんが大工さんと約半年かけて修繕したという。

今は鶏を飼い、その鶏の糞を肥料に野菜をつくるといった循環型農業に取り組んでいる。畑は借りている土地も含めて40a(*)、鶏が260羽。家のすぐそばに4棟の鶏舎が並んでいるが、これらは憲治さんが、定年退職した父親の武久さんや近所の方の手を借りて建てたもの。広々とした鶏舎を元気に走り回る鶏たちが、とても生き生きとして見える。

「研修で初めて鶏と接したときは怖かったけど、今はかわいくて」と康子さん。養鶏に携わるにあたって、自分なりに畜産のことを勉強したそうだ。例えば養鶏では、雄雛はほとんどが生まれてすぐに処分されてしまうこと。また雌鶏も、卵を産む数が減ったり、産む卵のサイズが大きくなってくると、生後1年半〜2年で処分……。家畜たちの現実を知り悲しくてせつなくて、最初の頃は思い出してはよく泣いていたという。

「一消費者として買い物をしていた頃は、パック入りの肉や卵を単なる商品としか見られなかった。でも今は、その生き物が生きているときの姿をリアルに思い浮かべることができるし、背景には表示だけでは見えてこないストーリーがあることもわかる。食べ物に対する思いが深まりました。そう思えるのも、農家になってよかったことの一つです」

*1a=100平方メートル

室内は、ファッション業界にいた憲治さんらしいおしゃれな空間
理想の暮らしをするために探しまわった末、やっと出会った茅葺きの古民家
能面づくりが趣味という憲治さんの父・武久さんと3人で昼食。週2日、作業を手伝いに来てくれる

売り物にならない卵をプリンに

もっとも養鶏を生活の糧にするなら、ある程度割り切って考えないと経営が成り立たないのが現実だ。だが康子さんは、「限られた期間でも、鶏ができるだけ幸せに長く暮らせるようにしてあげたい」と強く思い、その点で、憲治さんと何度もぶつかった。とくに、鶏は2年で処分するという考えの憲治さんに対し、康子さんは「4年飼いたい」と願い出た。

折り合いがつかないでいるとき、憲治さんが、売り物にならない卵をプリンに加工して販売し、経営に取り入れることを提案。やっと2人の意見がまとまり、独身時代にこつこつ貯めた貯金をはたいて、庭先に小さな加工所を建てた。

「プリンの開発はこれからですが、卵の味がしっかりするものにしたい。なーんて、私は料理が得意じゃないので、開発は夫の担当ですが…(笑)」

田舎暮らしを始めた頃は、無性に都会が恋しくなったこともあるが、今は自然に囲まれた生活がとても心地よい。夫婦仲良く、農園の名「環(わ)の花」にその思いを込めたように“美しく循環している農業”を目指したい、と話してくれた。

電動かんなをガスパワー発電機「エネポ」につないで、今日は親子で鶏の運動場づくり
燃料はカセットボンベ*2本で、本体への充填・交換も簡単。最大で約2.2時間発電が可能

*メーカー指定カセットボンベは東邦金属工業株式会社製。
注)エネポを使用する際は、濃度の高い一酸化炭素が発生しますので、屋内での使用は絶対禁止です。

庭先につくった石窯。まだ温度調節のコツがつかめていないとか
畑のレシピ
  1. 1.大根をいちょう切りにする。
  2. 2.容器に大根を入れ、赤梅酢を大根が4分の1ほど隠れるまで入れる。
  3. 3.酢を1/3カップ、砂糖を好みで適量入れる。
  4. 4.梅干しと一緒に漬け込んだしそを入れ、全体を混ぜる。
  5. 5.軽い重石をして、1日ぐらいでできあがり。

*2〜3日干した大根でつくると、さらにおいしい。

  1. 1.常温に置いた卵を、沸騰した湯にそっと入れて7〜8分加熱し、ゆで卵をつくる。
  2. 2.容器に醤油、みりんを各同量と、かつおぶしをひとつかみ入れ、水を適量加えて濃い味の漬け汁をつくる(市販の濃縮麺つゆでもOK)。
  3. 3.2の漬け汁に殻をむいた1の卵を漬け込む。
  4. 4.冷蔵庫に数時間〜1日おく。容器を時折ゆすって味を全体に浸み込ませる。