耕す女子たち vol.40

農のある暮らしに憧れパーマカルチャーを学びにオーストラリアへ。
でも、理想の暮らしは自分の足元にあった!生まれ育った土地でよりよい町にしたいと奮闘中の耕す女子を訪ねました。

季刊うかたま
http://www.ukatama.net/  
写真=高木あつ子 文=おおいまちこ

自宅の家庭菜園で菜っ葉を育てるための畑を小型耕うん機「こまめ」で耕す万紀子さん

今回の耕す女子

埼玉県羽生(はにゅう)市齋藤 万紀子さん(さいとうまきこさん)
1981年、埼玉県羽生市生まれ。明治学院大学国際学部卒。卒業後、柔道整復師の資格を取得。2011年に結婚。現在は玄米給食が人気のなずな保育園で週3日、調理員として働く傍ら、NPO法人「未来のたね」に所属し、食や子育て活動に取り組む。畑歴18年。家族は夫と男の子が2人。

〝無〞になれる草取りが好き

「私、草取りってけっこう好きなんです。あれって、瞑想と同じだと思いません?」

今回の耕す女子、齋藤万紀子さんに畑仕事の好きなところを尋ねると、開口一番、こんな答えが返ってきた。鎌を片手に作業している間は、頭の中が真っ白になり、終わったあと、すっきりする。〝無〞になって集中できるところがお気に入りらしい。

ここは、万紀子さんの地元、埼玉県北東部に位置する羽生市の田園地帯。大学進学と同時に実家を離れて都会暮らしを続けていた万紀子さんだが、7年前、出産を機にUターン。現在は、実家の離れに夫と2人の子どもの家族4人で暮らしている。

榎や桜の木々に囲まれた実家の敷地には200坪ほどの家庭菜園があり、季節の野菜を育てている。今日は大好きなシュンギクをはじめ、冬が旬の菜っ葉の種をまくための畝うね立て作業。小型耕うん機「こまめ」を使い、しばらく手がつけられないでいた畑の一角を耕した。

硬くなっていた土も、ゆっくりと2〜3往復すると、空気を含んで生き生きとよみがえった。さらに耕うん機に培土器を取り付け、畑を耕すのと同じ要領でクラッチレバーを握ると、「うわっ、すごく立派な畝ができる! 〝こまめ〞は、軽いけどパワーもあって安定感があるから運転しやすい。女性でも安心して使えますね」。

畑の片隅では、万紀子さんの祖母、須藤きいさんがせっせと草取りに励んでいる。聞けば御年96歳。きびきびとした働きっぷりに思わず目を見張る。放っておいた畑が雑草に覆われずにきれいなのは、何を隠そう、きいさんのおかげなのだそうだ。

草取りをする祖母の須藤きいさんと。とてもお元気で、自転車にもスイスイ乗ってしまう
「鍬で畝立てしたら大変なのに、すごく簡単にきれいな畝ができた!」
「未来のたね」の畑でさつまいも掘り。大豆のほか、ブラックベリーも栽培
子どもたちと一緒に種をまいて育てたエダマメ。このまま大豆になるまで成長させ、この冬の味噌づくりの原料に 

「動きやすいので、デニムなどより、レギンスをはくことが多いです。寒い時にはレッグウォーマーを重ねます」と、万紀子さん。大学のゼミで農作業を始めた頃から、首元はいつも手ぬぐいでカバー。「手ぬぐいは吸水性があって、乾くのも早い。大好きなのでいっぱい持っています」

人間は自然の一部と実感

万紀子さんには自宅前の菜園とは別に、力を注いでいる畑がある。車で10分ほどの場所にあるNPO法人「未来のたね」が借りている約300坪の畑だ。

東日本大震災をきっかけに、持続可能な暮らしを考えようと、羽生市の主婦らが立ち上げたこの団体に、地元に戻ってきた万紀子さんは即座に参加。主に食や子育てに関する活動を続けてきた。

作物を育てる喜びや手づくりの良さを大切にしたいとの思いから、6年前に始めたのが、子どもたちと一緒に、畑で育てて収穫した大豆で味噌づくりをするワークショップ。とても好評で、参加者は年々増えているという。

今でこそ、地域に根づき、町づくりの活動に取り組んでいる万紀子さんだが、10代の頃までは、きらびやかな都会に憧れる、どこにでもいる若者だったとか。その価値観が「がらっと変わった」のは、大学在学中、文化人類学者で、環境活動家でもある辻信一さんのゼミで学んだのがきっかけだ。

「環境問題を考えたり、その一環で大学のそばの里山で米づくりをやったりするゼミでした。学んでいくうち、大きいものより小さなもの、拡大するより循環すること、手づくりのおいしさや目の前にある幸せが大切であることに気づいたんです」

大学4年になる年には1年間休学し、パーマカルチャー(=持続可能な暮らし方や文化)を学ぶため、ワーキングホリデーを利用してオーストラリアの農家にホームステイ。電気のない暮らしを実践したり、隣家と何十キロも離れた森の中の有機農家で農作業を手伝いながら滞在した。大自然に囲まれて汗を流すうちに見えてきたのは、「私たち人間は、自然の一部なんだなあ〜ということ」。山に登り新年を迎えた時、あまりに圧倒的な太陽を目の前にして、心の底からこう実感したという。

そんな経験を通して、万紀子さんは地球の一部としての〝体〞に深く興味を持つようになった。大学卒業後、2年間の接骨院勤務を経て医療系の専門学校に入り、柔道整復師の資格を取得。そしてその学校で夫・貴たか永ひささんと出会い、2011年、29歳の時に結婚した。

バリアフリーに大改装した実家の離れ。室内はトイレやお風呂など、車椅子の夫・貴永さんが使いやすいような工夫がいっぱい。壁の珪藻土塗りは仲間の手も借りてDIYで

農を通してつながりたい

「子どもを育てるなら、自然豊かな田舎がいい」

将来的なことを見据え、貴永さんの故郷、福島県南相馬市に移り住もうと計画していた矢先、東日本大震災が起こった。状況が落ち着くまで移住は見合わせることに決め、出産を控えた11年末、万紀子さんの実家近くに越してきた。

貴永さんの鍼灸院も市内で無事開業。「未来のたね」の活動や、学生時代から関わってきた地元の環境保全活動などに携わり、地域に着々と根をおろしていった万紀子さん。

ところが、生活が軌道に乗りだした昨年8月、貴永さんが突然、病に倒れ、その後遺症により車椅子生活を余儀なくされることになってしまった。思いも寄らぬ事態に「一時は何も考えられない状態だった」。だが、家族はもちろん、地元で一緒に活動している仲間や貴永さんの仕事仲間が心身ともに支えてくれたことで、前向きな気持ちになれたという。住まいと治療院をバリアフリーに大改装した実家の離れに移し、夫婦二人三脚、いま新たな気持ちで再スタートを切ったところだ。

「焦らずやっていこうと思っています。生活環境は変わっても、これまでのように土に触れていきたい。青空の下で畑作業をして汗を流す心地よさ、とれた大豆が味噌に変わっていく不思議…、畑から学ぶことっていっぱいある。体験を通して地域のママや子どもたちにその魅力を伝えていけたらいいな」

目の前にある幸せを大切に、丁寧に暮らす。大学時代に出会い、培ったその価値観は、万紀子さんの生き方の軸となり、今もしっかりと息づいている。

自宅の庭先で、長男の朔(はじめ)くん(6歳)、次男昴くん(3歳)と。ボールを蹴ったり、走り回ったりと、2人とも元気いっぱい
もともと料理は好きで、保存食や加工品づくりもよくする。「原料が変化していく様子を見るのが楽しいんです」
畑のレシピ
  1. 1.車麩3枚を水で戻し、よくしぼったら食べやすい大きさに切る。
  2. 2.1に自家製のにんにく醤油大さじ4を加え、味をなじませる。
  3. 3.小麦粉を同量の水で溶き、2を入れてパン粉をまぶし、180℃の油でこんがりと色がつくまで揚げる。
  4. ※にんにく醤油は、醤油に生のままのにんにくを1週間ほど漬け込めばできあがり。市販品でもOK。

  1. 1.オリーブオイル大さじ1、梅酢大さじ1、塩小さじ1/2をよく混ぜる。
  2. 2.にんじん1本を、ピーラーで縦に薄くスライスし、1で和える。
  3. 3.好みの量のレーズンとクルミなどのナッツ類を刻んで加える。