耕す女子たち vol.32

先祖が耕してきた農地を守りたい。畑のある風景を次世代につなぎたい。都会の住宅地の片隅で亡き父親の跡を継ぎ農業に奮闘する耕す女子を訪ねました。

季刊うかたま
http://www.ukatama.net/  
写真=高木あつ子 文=おおいまちこ

小型耕うん機「こまめ」で畑を耕す菊美さん。ご近所の永井真知子さんが「プチな」で耕うん作業をお手伝い

今回の耕す女子

東京都世田谷区野島菊美さん(のじまきくみさん)
1962年、東京・世田谷区生まれ。畑歴10年。文化女子大学(現・文化学園大学)を卒業後、OL生活を経て、27歳のときに結婚。家族は夫と1男1女。2005年、父親の跡を継ぎ、農家になる。

都市農業の担い手として

「ピピピピッ、ピピピピッ……」

ビニールハウス内のどこからか、アラーム音が聞こえてくる。野島菊美さんは、これを合図にイチゴの収穫を切り上げ、足早に作業小屋に向かった。朝一番の仕事は、イチゴの摘み取りとパック詰め。出荷先のJA東京中央の直売所「ファーマーズマーケット千歳烏山」が開店する10時までに、ひとまず用意できた分を搬入するのだという。

「ハウスにいると、つい時間を忘れて仕事をしてしまいがち。区切りをつけられるよう、10分おきにアラームが鳴るようにしてあるんです」

そんな話をしながらイチゴを手早く選果し、パックに詰める。準備が整うと、パンジーの花苗とともに軽ワゴン車の荷台に載せ、車で5〜6分の直売所に向かって出発した。

ここは、東京23区の中でもっとも人口が多い世田谷区。菊美さんの畑は、戸建てや大型マンションが立ち並ぶ住宅街の合間にある。農地の広さは計18a*程。ハウスが2棟に切り花用の花畑、ブルーベリーやブドウ、キンカン、ミカン、カキなどの果樹類、竹やぶもあり、住宅密集地にありながら、そこだけぽっかりと静かな異空間が広がっている。

菊美さんは、生まれ育ったこの土地で、10年ほど前からイチゴと花き類を中心に栽培している。12月から翌年5月頃までのイチゴの季節は、朝一番の出荷から戻ると、2回目の出荷に向けて、再びイチゴを収穫。昼食をとらないまま、一気に仕事を片づけてしまうという。

イチゴが一段落すると、花苗の世話や切り花用の花の手入れなどに取り掛かる。この日は、キクとダリアを片づけた後の畑に、ユリとチューリップの球根を植えるため、小型耕うん機「こまめ」を使って耕した。

「“こまめ”は大きさ的にも使い勝手がよく、軽いのにしっかり耕せる。畑においておくと、この“赤”が、とても映えますよね」と、菊美さん。春がきたら、バス通りの向こうのマンションからも、色とりどりの花畑が見渡せるはずだ。

*1a=100㎡,約30坪

「いい趣味ね」なんて言われないよう、栽培の腕を上げて、一人前の農家になることが当面の目標
イチゴを“うちの子”と呼ぶ菊美さん。「“娘たち”(イチゴと花)が無事に嫁ぐまでを見届けたいので、忙しくても納品には必ず自分で行きます」
より軽量でコンパクトな「プチな」は、オリーブの木の下などのちょっとしたスペースも自在に耕せる
移動用タイヤ(別売)がサッと取り付けられる「こまめ」は、手押しでラクラク運べる

農作業の際の必須アイテムはエプロン。「つけることによって、気持ちをきゅっと引き締める感じかな。素材や柄は、その日の服や季節に合わせて選びます」。日に何度もお店に納品に行き、一般のお客さんと会う機会も多いので、全体的にこざっぱりと見える格好をするようにしているとか

先祖が残した農地を守りたい

専業主婦だった菊美さんが農家に転身したのは、父親が亡くなったのがきっかけだ。たまに畑の手伝いはしていたものの、「農業を継ぐつもりはなかった」。だが、いざ父親の容態が悪くなった時、気持ちがざわざわと揺れ動いたという。

「うちは、江戸時代からこの土地で農業をしてきて、私で13代目になるんです。昔は今みたいに便利な世の中じゃなかったから、先祖はきっと大変な苦労をして農業を続けてきたと思うんですね。それを、私の代で途絶えさせてしまうのが嫌で。子どもも手が離れてきた頃だったし、生まれ育ってきたこの土地への愛着もあった。父が最後に植え付けたキャベツが、畑でどんどん育っていくのを見ているうち、“私がやる!”という気持ちになりました」

母親や親戚から反対されたが、気持ちが揺らぐことはなかったという。

菊美さんは2人姉妹の長女。嫁いで15年近く経っていたが、旧姓である野島の名で農業を継ぐために、夫婦揃って菊美さんの実家の養子に入ることに。会社員のご主人は仕事を続け、農業は基本的に菊美さんが一人で切り盛りすることに決めた。

とはいえ、どんな農業をしていくか、ビジョンがあったわけではない。

「父はキャベツとブロッコリーを市場に出荷していましたが、これを女性一人で続けるのは体力的に厳しい。これから年をとっていくことを考慮しつつ、周りの農家とは違った農業をやろうと考えて……」

2005年12月、世田谷区とJA東京中央が後継者の育成のために実施している「せたがや農業塾」に入塾。そこで、隣の地域にイチゴ農家がいることを知った。見学に行くと、イチゴの実や花がそれはきれいで心がときめいた。設備投資が必要になるが、まずはハウス一棟から始めてみようと決意。その農家から設備や栽培のことなどのアドバイスを受けて、第一歩を踏み出した。

地元農家の農産物も扱う生活クラブ生協のお店「デポーせたがや」に、イチゴと花苗を納品
花が好きで、高校時代には生け花を、今はフラワーアレンジメントを習得中。「今後はもっと切り花に力を入れたい」

畑の風景を次世代につなぐ

こうして、晴れて農家となった菊美さん。地元JAの生産部会では紅一点の存在。先輩農家に支えてもらいながらがんばっているという。

当然、専業主婦の頃とは生活はがらりと変わり、主婦業はちょっとさぼり気味。いっぽう、人とのつながりは農業を通じてぐんと広がった。区内外の農業女子たちと交流したり、園芸組合の活動の一環で、地域の小学校に栽培指導に行ったり……。

「世田谷で養蜂をやっている同世代の女性がいるんです。ミカン蜜を採りたいと、うちの畑に巣箱を置きに来ました。そんな縁で今シーズン、ハウスにもイチゴの受粉用に彼女のミツバチの巣箱を入れています」

もちろん、楽しいことばかりじゃない。雹(ひょう)が降り、順調に育っていた花が一瞬でダメになってしまったこともあるし、天気に左右されて仕事がはかどらない時は、悩んでも仕方がないのに深く落ち込んだりもする。

「そんな時、イチゴを教えてもらっている先生から、“野島さんが元気じゃないとイチゴも元気に育たないよ。イチゴが元気になれば、あなたがイチゴから元気をもらえるから”と言われて心が安らぎました。いい人に出会えているな〜と思います」

世田谷区の農地面積は約94haと*、東京23区の中では練馬区に次ぐ広さを誇る。だが、ここ十数年で急速に宅地化が進み、農家数もめっきり減った。「都会で農地を守っていくのは大変なことだけど、人口が密集するこの世田谷に心休まる畑の風景を残し、次世代につないでいきたい」と、菊美さん。故郷・世田谷を彩る農業への熱い思いが伝わってきた。

*1ha=100a,1万㎡,約3000坪。94haは東京ドーム20個分の面積に相当

同じ地域の農家・島田尚美さん(右)の畑で。島田さんは農産加工に積極的に取り組んでいる心強い先輩であり、よく女子会をする間柄
ファーマーズマーケットに出荷している直売部会の部会長・大谷一彦さん。通年で多品目を出荷する農家の大先輩
畑のレシピ
  1. 1.イチゴ250gに砂糖大さじ1を加え、ミキサーなどでつぶしてなめらかにする(つぶし過ぎない。食感が残る程度がよい)。
  2. 2.大さじ2の湯で溶かした粉ゼラチン2gと、軽く泡立てた生クリーム100㎖を1に加えて混ぜる。
  3. 3.器に流し入れて、冷蔵庫で冷やす。
  4. ◎細かく刻んだイチゴや、1を少量残しておいて、食べるときにトッピングしてもよい。

  1. 1.弱火で温めたフライパンに、バター大さじ1/2を入れて溶かす。
  2. 2.ヘタを取ったイチゴ7~8粒を1に入れてソテーし、ほんのり温める。
  3. 3.2にバルサミコ酢適量を回しかけて絡め、火を止める。
  4. 4.3を皿に盛り、温かいうちにバニラアイスを添えていただく。