季刊うかたま
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写真=高木あつ子 文=おおいまちこ

今回の耕す女子
- 長野県佐久穂町遠藤ゆかりさん(えんどうゆかりさん)
- 1984年千葉県印西市生まれ、横浜育ち。畑歴は10年。中央大学総合政策学部卒。アルバイト生活、長野県東御市の農業法人㈱永井農場勤務を経て、2011年3〜9月に佐久穂町の織座農園で研修。2012年4月に就農し、「おまめ耕房」をスタート。
八ヶ岳の山々を望む畑で
「ここが、私のいちばんお気に入りの畑なんです」
そういって、遠藤ゆかりさんが案内してくれたのは、標高1100mほどの高台にある1枚の畑。遠くに北八ヶ岳の山々が望める絶景の場所で、頬をなでる爽やかな風がなんとも心地よい。
「寒暖差があるのと水はけがいい土地のおかげで、すごくおいしい野菜ができるんです。去年の秋はダイコンやニンジン、葉物野菜を栽培しました」
冬の間は露地物の野菜づくりは完全にお休みし、雪が溶けると春夏野菜の栽培に向けて本格始動する。今シーズン、この畑に入るのはこの日が初めて。ゆかりさんは、愛用のミニ耕うん機「こまめ」を使って、まずは雪や霜で硬くなった畑を耕した。
十分に空気を含んで土がふかふかになったところで、アタッチメントの培土器を取り付けて畝(うね)立て作業。機械での畝立ては初体験のゆかりさんは、「こまめ」を押しながら「超ラク〜!」と喜びの雄叫びを連発した。
去年はジャガイモ100㎏植えるのに鍬で畝を立てたんです。でも大変で、もうダメ〜って。それがこんなに簡単にできちゃうなんて…」
ダイコンの種をまこうか、ジャガイモを植えようかと、4月に結婚したばかりの拓也さんといつまでも畑談議に花を咲かせている。仲睦まじい姿がなんとも微笑ましい。



「種はまかなきゃ始まらない!」
大自然に抱かれた、ここ長野県佐久穂町で“耕す女子”として歩み始めて丸2年のゆかりさんが、初めて「農」に触れたのは大学生の時だ。
半纏(はんてん)が似合う今の姿からは想像もつかないが、当時、国際協力に関心のあったゆかりさんは、“頭でっかちの女子学生”で、議論ばかりしていたとか。ある時、「自給率について語っても、食べもののことを何も知らない自分自身に矛盾を感じ」、ならば実際に体験してみようと、大学2年の夏、WWOOF*(ウーフ)を利用して岩手の農家に滞在。畑仕事や家畜の世話をして、すっかり農業にはまってしまった。
「体を動かして、食べるものがおいしくて……単純に楽しかったんです! 悩みがちな性格だったけれど、畑をやるようになったら、すっきりシンプルになれました」
日常的に土に触れたいと、東京郊外の農家へ「大学以上に通う生活」が始まり、卒業後もしばらくは就職せず、借りた畑で野菜を育てながらバイト生活を続けた。農業を始めたかったがその一歩を踏み出す勇気がなく、24歳の時、長野県東御(とうみ)市にある農業法人㈱永井農場に就職。農産加工品の開発などに携わった。
そんな中、佐久穂町にある織おり座(ざ)農園を訪ねたことが大きな転機になった。園主の窪川典子さんは、25年ほど前、今は亡きご主人とともに東京から移住し、この地で有機農業を始めた、とてもパワフルな女性だ。
「自分の思いを話すと、“種はまかなきゃ始まらないの。やればいいのよ!”って。研修中は農業技術より、人間研修させてもらった感じかな」
窪川さんの言葉に後押しされ、ゆかりさんは2011年3月から半年間、織座農園で研修生として過ごすことに。その後、独り立ちする場所を探して旅し、翌年1月、窪川さんの紹介で織座農園に近い集落に古民家を借りられることになった。こうして2012年の春、ゆかりさんは農家として出発したのだった。
*WWOOF(=World Wide Opportunities on Organic Farm):金銭のやり取りなく、労働力と食事・宿泊場所を交換するシステムで、有機農場とそこで働きたい人をつなぐことを目的とする。1970年代に英国で始まり、日本にも事務局がある。





大学時代に通っていた農家からいただいた半纏が、動きやすくてお気に入り。かれこれ10年も愛用。だいぶ色あせてきたが、「近所のおじいさんからは“悪い虫が寄り付かないための無農薬ルックだろ〜?”とかいわれています(笑)」