季刊うかたま
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写真=高木あつ子 文=おおいまちこ

今回の耕す女子
- 千葉県印西市柴海佳代子さん(しばかいかよこさん)
- 1986年生まれ、東京都国立市出身。東京農業大学卒。畑歴は9年。大学時代、農業サークル「緑の家」で知り合った祐也さんと2006年に結婚。2009年9 月に祐也さんの地元、千葉県印西市で就農。2011年1月に長男の光祐くんを出産。現在、第二子を妊娠中。
夫婦で念願の農業を
最寄り駅の周辺は、マンションや戸建て住宅が整然と立ち並ぶニュータウン。けれど、車をほんの2、3分走らせると、そこには心落ち着く農村風景が広がっていた。のどかな集落にたたずむ家々を、やわらかな日差しがやさしく包んでいる。
柴海佳代子さんは4年ほど前、念願だった農業を夫婦で始めるため、住み慣れた東京を離れ、夫の祐也さんの故郷、千葉県印西市の自然が色濃く残るこの地にやって来た。
トマトを栽培している義父母とは経営を別に有機農業を志し、手探り状態での出発。遊休農地を借りて、開墾しては畑をつくり、段階的に耕作面積を増やしていった。5年目の今は、1町5反*の畑で野菜を、5反の田んぼでイネを無農薬・無化学肥料で栽培。市内の個人宅や各地のレストラン、自然食品店などに直接配達したり、宅配便で届けている。
6ヵ所に点在する畑では、年間60品目もの野菜を栽培しているという。自宅から車で10分ほどの雑木林に隣接する畑には、葉もの野菜が多く植えられていた。
「この菜っ葉は、“博多かつお菜”です。向こうの巨大なものは小松菜ですけど、春になったら菜花としてとるために残してあるんです」
そんな話をしながら、佳代子さんは、水菜が植えられたその脇を、祐也さんと一緒に春野菜の準備をするため、ガスパワー耕うん機「サ・ラ・ダ CG」で耕していく。
「『サ・ラ・ダ CG』は、レバーを握れば動くし、放せば止まるのでわかりやすくて安心。機械が苦手な私にも扱いやすくて、真っ直ぐ耕せるのがいいですね」
パートさんがやって来ると、今度はホウレンソウの収穫が始まった。
*1町=約10000平方メートル、3000坪。 1反=約1000平方メートル、300坪。 1町=10反


海外での仕事より“日本で農業”を
佳代子さんは、東京・国立市の出身だ。ごく普通のサラリーマン家庭に育ち、「野菜の旬もわからなかった」そうだが、将来は青年海外協力隊として人の役に立つ仕事がしたいと、東京農業大学に進学した。
生きる基本である食、その食をつくり出す農業の分野で活動したいと思い、選んだ大学。在学中に農業の知識と技術をできるだけ身につけようと、「がっつり農業をするサークル」に入り、週末は東京郊外の畑で農作業に勤しんだという。
「スコップで耕して種をまいて…。初めて芽が出た時は、本当に感動しました」
長い休みには、有機農業をしているOBや興味を持った農家の元で研修生として働いた。技術の習得はもちろんだが、多様な生き物がいる環境の中で農業をしているのだという、先輩方の話が心に響き、「食べること」への感謝の気持ちが深まった。
そんな大学時代、サークルで出会ったのが祐也さんだ。知り合って間もなく交際を始めた2人は、祐也さんが一足先に卒業、就職すると同時に20歳で結婚。祐也さんは野菜の流通会社で働き、佳代子さんは大学に通うという新婚生活が始まった。
その年、2人でインドネシアへ有機農業の視察に行った。そこで知ったのは、日本人が無意識のうちに現地の人々の暮らしや環境に悪影響を与えているという現実。大規模プランテーションで栽培されていたのは、日本向けの作物や、食品や洗剤に使うパーム油をとるアブラヤシ。小規模農家との貧富の格差は深刻だった。
「海外で支援活動をしたいと思っていたけど、むしろ日本の農業をしっかりしないといけない、という気持ちになりました。大きなことはできないけど、自分や周りにいる人たちに自分がつくったものを食べてもらったら、本来やりたかったことにも繋がっていくんじゃないかって」
この旅を機に、海外に向いていた目が日本に向けられるようになり、祐也さんと「卒業したら農業をしよう!」と誓いあったのだという。



**メーカー指定カセットボンベは東邦金属工業株式会社製



作業用に着ているのは、東京農業大学オリジナルの「農大つなぎ」。農業実習やサークルの活動で愛用していたもので、背中に大学名が入っているのがポイント。頭に被るのは、帽子よりも手ぬぐい。「好きな柄の手ぬぐいを被るとキュッと気合が入ります。畑でも手ぬぐいは袋になったり、くるんだり、とっさの時になんにでも使えるから便利です」