季刊うかたま
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写真=高木あつ子 文=おおいまちこ

ぽかぽか陽気のこの日、夫の尚史さん、息子の寛司くん、義父母の裕光さん、タミさんと畑で
今回の耕す女子
- 栃木県真岡市丸山智子さん(まるやまともこさん)
- 1977年生まれ。千葉県出身。畑歴6年。短大卒業後、フリーター生活を経て、NPO法人ヒマラヤ保全協会の職員に。2005年に半年間、有機農園「林農園」(千葉県佐倉市)で農業研修。同年に結婚。06年、夫の尚史さんと「まんまる農園」を開く。家族は夫、一男一女。
体や地球、味も“まんまる”に
栃木県真岡(もおか)市郊外の静かな田園地帯にたたずむ一軒の農家。広い敷地には、母屋の脇に新旧2棟の小屋が建っている。軒先にきれいに干してある稲とタマネギ。農機具や資材もきちんと整頓され、この農家の几帳面で丁寧な仕事ぶりがうかがえる。
ここは、今回の耕す女子、丸山智子さんが夫・尚史さんと営む「まんまる農園」。2人とも実家は農家ではないが、2006年1月、尚史さんの地元・真岡で畑を借り、農業を始めた。農園名は、真岡の「真」と丸山の「丸」から、また、体によくて地球にやさしい、味もおいしい“まんまる(=Good)”な野菜づくりをしたいとの思いを込めた。
2年前には、1反4畝*の畑付きの今の家を購入した。現在は借地と合わせ、5カ所に点在する計1町の畑と2反の田んぼで、農薬や化学肥料を使わずに野菜と米を栽培している。
「子どもたちが小さいので、田畑は主に夫が、私は出荷作業や事務がメイン。でも、春や秋には毎日畑に出ています」と、智子さん。
この日は、ハクサイの植わっている畑で、雑草を抑えるための畝間(うねま)を耕す作業をした。鶏糞と米糠でつくったぼかし肥(ごえ)をまき、ガスパワー耕うん機「ピアンタ」で耕していく。
「小さな管理機があるんですが、重くて畑の上だと不安定になり一人で支えられない。でも、ピアンタなら軽いので大丈夫」
尚史さんのご両親、裕光さんとタミさんも、4歳の紗和ちゃんと1歳の寛司くんの面倒をみたり、雑草をとったりしてバックアップする。
*1畝=約100平方メートル、1反=約1000平方メートル、1町=約1万平方メートル。





地域に根づいた
自給的な暮らしへ
智子さんが農業に関心を持つようになったのは、短大卒業後、軽い気持ちで参加したインドネシアでの植林キャンプがきっかけだ。国際協力に目覚め、その後、ネパール山岳部での植林や生活支援を行なうNPOのスタッフとなり、現地の人々と触れ合うなかで、地域に根づいた自給的な暮らしの豊かさを知ったという。
かたや、植林キャンプが縁で交際が始まった尚史さんは、東京農業大学卒業後、青年海外協力隊として南米エクアドルへ農業指導に赴く。2年間の活動で、先進国の大量消費のために途上国の環境が破壊され、貧富の差が拡大していることを実感。地域で循環する小さな農業が大切だと考え、農業を志すことを決めた。
帰国後、尚史さんは栃木県内の有機農家に住み込みで2年間研修。尚史さんの思いに共感した智子さんも、NPOを辞め、半年ほど千葉県松戸市の実家から佐倉市の有機農園まで週に3日通い、農作業を学んだ。
長い遠距離恋愛の末、結婚したのは27歳の時。尚史さんの研修が終わると、地元の農業委員会を通じて畑を借り、農家として出発した。
当初は就農の挨拶も兼ね、知り合いに野菜を送りまくったとか。口コミやブログなどで紹介され、次第にお客さんが増えていった。今は真岡市内を中心に、毎週30軒余りの個人客や飲食店などに野菜を届けている。



カジュアルな服装が好みだという智子さん。特別に野良着を買うことはなく、「普段着を着倒すと、それを作業着にします」。真夏でも、麦わら帽などのつばの広い帽子は、車の運転の邪魔になるのでかぶらない。「日の当たる首元は、タオルを巻いてカバーしています。今のところ、周囲からは色白といわれています(笑)」