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S660—僕たちがつくった理想のマイクロスポーツカー

Part1 夢を現実に

自分がつくりたいスポーツカーをつくる——そんな夢を実現したのは、Hondaとクルマが大好きな20代のLPLでした。

最年少LPLの横顔

「S660」のLPL(開発責任者)として抜擢されたのは、当時22歳の若いエンジニアでした。もちろん、LPLとしては史上最年少。異例の人事でした。
椋本 陵さん、26歳。Hondaとクルマが大好きで、若者のクルマ離れを危惧する熱きエンジニアです。Hondaを選んだ理由は?

「小学生の頃、図書室にあった本田宗一郎のマンガを読んだのがきっかけでHondaが好きになりました。でも、Hondaに入社できるなんて夢にも思わなかった。岡山の工業高校を卒業したら地元で就職するつもりでしたが、高3のときに『Hondaの研究所から求人が来ている』と聞き、だめもとで応募したら運良く受かったんです」。

入社後に椋本さんが配属されたのは、埼玉県和光市にある四輪のデザイン部門。ここで“モックアップモデラー”を務めていました。

「クレイモデルの次につくる“モックアップ”のモデラーです。ノミとカンナと塗装ガンが商売道具でした。クルマを開発するうえでは重要な役割ですし仕事も面白かった。でも、僕はその頃から自分が考えたクルマをつくりたいと思い始めていました。それで、機会があるごとに、デザイナーに混じって社内のデザインコンペに参加したんです。ただ、デザイナーのようには絵が描けないので、ミニチュアをつくって応募したんですが(笑)」。

「オマエは来月から栃木だ」

そんな椋本さんの転機になったのは、本田技術研究所が創立50周年を記念して開催した新商品提案企画でした。ここで、彼がまとめた軽スポーツカー企画がグランプリに選ばれたのです。それが“ゆるすぽ”です。

「“ゆるすぽ”は、速さよりも運転する楽しさを重視したオープン2シーターのスポーツカーです。タイプRみたいなガチガチのスポーツカーではなく、誰にでも気軽に乗れるクルマ。草野球とか、街中をジョギングするようなイメージで、スポーツカーをつくろうと思いました」。

グランプリを獲得したことから、椋本さんは“ゆるすぽ”の試作車を製作することになります。

「そのクルマに本田技研工業の社長が試乗したら、『これをつくろう。オマエは来月から栃木だ』ということになっちゃった」。

その言葉どおり、椋本さんは栃木の研究所に転勤になり、LPLとしてこのモデルを担当することになりました。自分がつくりたいスポーツカーをつくるまたとないチャンス。しかし、いきなりLPLという重責を任されて、戸惑いはなかったのでしょうか?

「もちろん戸惑いましたよ。急に栃木でクルマをつくれといわれても当然できるはずはありませんし、最初は何をやったらいいのかわからなかった。チームメンバーも僕とどう接していいのかわからなかったみたい。そんなとき、東日本大震災に見舞われ、栃木研究所が大きな被害に見舞われました。プロジェクト開始から1週間後のことです。プロジェクトを進めるためには、社外のどこかに部屋を借りて籠もるしかなかった。それがきっかけでチームに一体感が生まれたのです」。

プロジェクトチームは若いLPLの椋本さんと、彼をサポートする3人のベテランエンジニア(安積悟LPL代行、深海政和LPL代行、瀬田昌也LPL代行)、そして、社内公募で選ばれたエンジニアで構成されました。
「通常はLPLとLPL代行など限られたメンバーでどんなクルマにするかを検討するのですが、今回は白紙の状態から全員が入り、とにかくみんなで話し合い、みんなでどんなクルマをつくっていくかというのをずっと“ワイガヤ”していましたね」。

“ワイガヤ”とは、Hondaの社内用語で、立場を超えて自由に議論すること。こうしてみんなでコンセプトを練り上げていきましたが、軽でミッドシップのスポーツカーをつくるという考えがぶれることはありませんでした。

「僕はS2000に乗っているんですけど、『自分の手には負えないな』というのが正直な気持ちです。だったら、もっとみんなが気軽に買えて、思うままに操ることのできるクルマのほうが面白いんじゃないかってずっと考えていたんですよ。そして、スポーツカーというからには、見て楽しい、乗って楽しいという部分を際立たせたかった。それを両立できるのがミッドシップなんです。もちろん、実現するにはいろいろ課題はありましたが、チームメンバーの誰からもFFにしようという意見は出ませんでしたね」。

プロジェクト解散の危機

こうして“ゆるすぽ”の方向性は固まっていきましたが、2011年夏、プロジェクトには最大の危機が訪れます。“ゆるすぽ”の開発計画が凍結されてしまったのです。

「気軽に運転できて速さはそこそこという“ゆるすぽ”では、社内の理解が得られなかった。軽のスポーツカーといえども、ガチでやりきったクルマじゃなければ、Hondaらしくないという判断からです。開発計画が凍結されたとなると、そのままではチームは解散です。でも、スポーツカーをつくりたいという強い思いがありましたから、みんなで部屋に籠もり、どうしたらHondaらしさを保てるのかを考えて、コンセプトを練り直したんです」。

そこで生まれたのが“ガチスポ”、すなわち、本物のスポーツカーというコンセプト。軽のスポーツとしてもっと尖った、際立ったキャラクターを持つクルマで、スポーツカー好きを唸らせるような性能を目指したものです。

「マイクロスポーツカーの本質を研ぎ澄ましたらこの“ガチスポ”に辿りつきました。けれでも、誰もが寄りつかないようなクルマではなく、とてもフレンドリーなクルマに仕上がっているし、気軽さも忘れていない。“ガチスポ”といいながらも、実は“ゆるすぽ”の世界観を持っているんですよ。“ガチスポ”とは、ガチなスポーツカーというよりは、ガチでつくったスポーツカーなんです。魂をこめてクルマをつくるというガチさでいいんじゃないかって。もちろん、スポーツカーが好きな世代にも『やるじゃん!』といわれるようなクルマにしようとは思いましたけどね」。

そんなチームの夢が「EV-STER」として日の目を見たのは、2011年に開催された東京モーターショーでのことでした。

S660に託した思いとは

その後も数え切れないほどの課題や困難を乗り越え、椋本さん率いるプロジェクトチームはS660を生み出します。

「つらいことはたくさんあったけど、最後に残ったのは楽しい想い出だけです。素晴らしいチームで仕事ができたし、自分たちがつくりたいクルマをつくることができたから。『何が何でもこんなクルマをつくりたい』という情熱があれば、たいていの課題は解決できる。また、なんとか乗り越えよう、突き詰めてやろうという気持ちになりますよね」。

その一方で、クルマの開発はエンジニアの自己満足で終わってはいけないと椋本さんはいいます。

「僕たちの仕事はクルマをつくることが目標ではなくて、つくったクルマでお客さまを喜ばせることなんです。本田宗一郎も『研究所というのは技術を研究する場ではなく、人の気持ちを研究する場なんだ』と」。

そして、椋本さんはS660をつくり上げた意味をこう話しました。

「S660の登場をきっかけに、『Hondaって面白いな』と思ってもらえたらうれしい。『Hondaってカッコいいな』でもいいんです。あるいは、同世代の人に『あんな若い連中がつくったんだ!』でも、『クルマって楽しそうだなぁ』でもいい。とにかくリアクションがほしいんです。若者のクルマ離れが問題になっていて、僕自身も同世代の無関心さに危機感を持っています。これを何とかするには、僕たちが若者に興味を持ってもらえるようなクルマをつくること。そして、クルマ好きが積極的に選んでくれるクルマをつくって、それに乗る大人の姿を子供たちがカッコいいと思うことが大切じゃないかと。チームのみんなも、ホンダを変えたいとか、クルマ社会に貢献したいとか、みな高い志を抱いています。そういう思い、意気込みが、このS660には詰まっています」。