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旅行家 藤原かんいちのスーパーカブイラスト展 後編

藤原かんいち  1961年 神奈川県生まれ
小学生時代から自転車旅に熱中し、高校時代には岩手まで一人旅を敢行。専門学校卒業後に就職したが日本一周の夢が諦められず、退職してバイクで日本一周へ。その後原付バイクでオーストラリア一周を皮切りに、世界一周、アジア横断、北南米大陸縦断、国道全制覇、夫婦タンデムで日本縦断などを実現。小さなバイクで地球を走る模様は、バイク専門誌を始め新聞、週刊誌などに多数掲載された。スマホで撮影した写真を写真展やインスタグラムで発信すると共に、旅エピソードやバイクを手描きのイラストで伝える。旅行家でありイラストレーターであり写真家。

https://www.kanichi.com/

■バイクとの出会い

10代は自転車旅行に熱中していたので、バイクに目覚めたのは20歳と遅かった。最初に乗ったのは旅を感じる原付のアメリカンバイクで、中型免許(現在の普通二輪免許)にステップアップするとスピードへの憧れから2ストロークのスポーツバイク。日本一周で、林道を走れないことに不満を感じてオフロードバイクに乗り換えた。バイクは自分の世界と可能性を広げてくれる、特別な存在になっていた。

スーパーカブが僕のテリトリーに入ってきたのは25歳。初めての海外、オーストラリア一周計画の時。世界を走るなら何より頑丈なバイクが一番と考え、候補に挙がったのがスーパーカブだった。試行錯誤の末モトラになったが、僕にとって世界を一緒に旅したいバイクであることに変わりなかった。

■スーパーカブで日本一周

それから8年後の34歳の時、日本一周を計画した。お金のない僕は資金10万円だけでやろうと決めた。そこで必要になったのが燃費のいいバイク。これはもうスーパーカブしか考えられなかった。実際に旅して感じたのは積載性の高さ。荷物を満載にしても運転の邪魔にならず、バランスもいい。さらにレッグシールドは泥跳ねから守ってくれるし、カバーがあるのでチェーンに埃も付かない。よく考えられたバイクで、資金10万円以内で達成できたのは、半分以上はスーパーカブのお陰だった。

■夫婦で北南米大陸を縦断

  • Super Cub 50(かんいち 仕様)夫婦で北南米大陸を縦断した時(1997年〜1999年)のかんいちの車両と旅装備。積載力を上げるためにプレスカブ用の前後大型キャリア、メッシュのインナーラックを取り付けている。ちなみにカゴには食料品、ラックには水筒を積んでいた。
  • Super Cub 50(藤原ヒロコ 仕様)北南米大陸の旅で妻ヒロコが乗っていたスーパーカブ。スピードは出ないが、運転しやすく耐久性の高いバイクだからこそ実現可能だった。小さなバイクで現れた遠い異国の旅人を、たくさんの人達が笑顔で迎えてくれた。

日本一周の2年後に夫婦で原付バイクによる北南米大陸縦断の旅を計画していたのだが、運転技術に不安だという妻でもスーパーカブなら安心して旅ができると確信した。

スーパーカブの旅はカナダ北極圏まで北上。その後はひたすら南下。アメリカと中米を縦断。中米パナマから飛行機で南米コロンビアへ飛んだ。さらに赤道を越えて最南端の町ウシュアイアまで1年半の旅。灼熱の砂漠地帯、熱帯ジャングル、標高4000mを越えるアンデス山脈など過酷な自然環境にも耐え、5万キロ以上走破。スーパーカブの実力を実証した。

  • アメリカの主要都市は高速道路で繋がっているため、速度の遅い原付が走れる道が少なく、ルート選びに苦労をした。小さなバイクはかなり珍しいようで、パトカーに「もっと速く走りなさい!」と注意されたこともあった。
  • バイクを愛するもの同士、言葉や国境を越えてすぐに仲良くなれるのがライダーのいいところ。アメリカはビッグバイクばかりだが、排気量に関係なくパーキングエリアやレストランで出会うとバイクトークで盛り上がった。
  • 南米のアンデス山脈では標高4000m級の峠をいくつも越えた。空気が薄いため人もバイクも高山病になったが、大自然の景色は素晴らしく雄大だった。高原を流れる小川を渡ったり、アルパカやリャマに出会うこともあった。
  • この旅で最も印象に残っているのがボリビアのウユニ塩湖。世界最大級の塩湖で、乾季になると一面塩だけの世界になる。ここでキャンプをすることが夢で、夫婦で実現することができた。連れて来てくれたカブに感謝♪
  • スーパーカブ北南米大陸縦断で目指していたのが陸路で行ける南米最南端の町、アルゼンチン・ウシュアイア。カナダのバンクーバーを出発した日から16か月以上が過ぎていた。妻を肩車して到着を祝福。感無量の瞬間。

■リトルカブで国道を全制覇

国道全制覇旅のLittle Cubリトルカブと共に挑んだ、原付で走れる国道を全線制覇するという途方もない旅。北は北海道から南は沖縄の石垣島まで、残した轍は10万キロを越えた。全線を走破した国道は443本、訪ねた道の駅は1002駅。速度の遅い旅だから出逢えた人、出逢えた景色があった。

国道1号から507号まで全て走る10万キロの原付旅を2009年からスタート。この究極の旅に耐えられるのは、もうカブ以外に考えられなかった。この旅では4速のリトルカブを選択。足掛け5年、日本をほぼ3周、平均燃費はリッター75㎞。カブだからできた旅だった。

  • 単純に国道を走るだけではつまらないので、四国は霊場八十八か所をめぐるお遍路をしながら一周をした。山の奥にある寺は道が分かりにくかったり、細く狭かったり。そんな時、フットワークの軽いリトルカブが威力を発揮してくれた。
  • 関門トンネルを通行できない50ccの原付は、人や自転車用のトンネルをバイクを押して渡らなければならない。これも原付旅でなければできない貴重な体験のひとつ。疲れたが関門海峡を越えたときの喜びはひとしおだった。
  • 思い出の国道といったら青森の“階段国道”。竜飛岬の近くにあり、なぜか階段が国道に指定されている。すっかり有名な観光地で観光バスも止まるほど。階段を走ったように映っているが、もちろん走っていませんよ〜(笑)
  • ノスタルジックな雰囲気を持った駅舎が好きなので、見つけると立ち寄っていた。これは北海道のJR幾寅駅。高倉健主演の映画“鉄道員”の舞台として使われ、“幌舞駅”として知られている。タイムスリップしたような景色に似合うカブ。
  • 北海道ではキャンプが多かった。目が覚めてテントのファスナーを開けると、視界いっぱいに屈斜路湖の風景が広がった。これぞ旅の醍醐味、傍らに置いた相棒のリトルカブを眺めながら飲むコーヒー、旅の一日が始まる。
友人と名古屋〜宗谷岬の旅をしたCT1102012年。友人と僕の好奇心から生まれた“所持金1万円で果たして名古屋から宗谷岬まで行けるか!?”チャレンジ旅。僕はCT110、友人はスーパーカブ110で。食事はすべて自炊。お風呂は無料温泉、ひたすら走り続けること10日間、見事に達成した。

今後はスーパーカブに妻とタンデムで長い旅をしてみたいと思っている。プランはユーラシア大陸横断。相棒がカブならば何の心配もいらないだろう。そう遠くない未来にぜひ実現したいと考えている。(完)