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What is CT?「CTとハンターカブ」 第2回 アメリカ編

「元祖ハンターカブ」は、アメリカで生まれた。中部 博(作家)

ハンターカブはアメリカ生まれである。

1959年に北米へ日本のホンダからスーパーカブの輸出が開始され、やがて2年後の1961年に「元祖ハンターカブ」と呼ばれるホンダCA100T トレール50がアメリカンホンダで誕生した。

スーパーカブをベースにして、どんな道でも走れるトレール・タイプの小型オートバイを商品開発というアイデアは、アメリカンホンダが考え出したものだ。

だが、それはなぜか? 日本の商品開発現場ではなく、なぜ、アメリカだったのか?

第一回で紹介されている、ホンダ社報に掲載された藤澤専務のアメリカ出張みやげ話にあるように、ホンダが「アメリカのお客様の生活スタイル」を見逃さなかったから、ハンターカブ開発のアイデアがゲットできたというのだ。いかにもホンダらしいビジネスの流儀だと思える。

アメリカンホンダはスーパーカブを売るために大変な苦労をしていた。当時のアメリカには小型オートバイの需要がほとんどなく、オートバイ販売店はスーパーカブの潜在的な商品力にまだ気がついていない。
 そのために自力で販売網を広げていたアメリカンホンダは、オートバイ販売店のみならず、釣りや狩猟などの用品をあつかうアウトドアスポーツのショップへスーパーカブを熱心に売り込んでいたのである。

1961年最初にCA100T TRAIL50を発売した当時の雑誌広告。ホンダトレール50は安価で軽量、低燃費、試乗は無料などの広告文が書かれています。クリスマスにはディーラーで応募すると抽選でホンダトレール50が当たるキャンペーンもあったようです。

こうしてフィッシングやハンティングを楽しむアウトドア愛好家たちが、スーパーカブに目をつけた。ピックアップトラックの荷台にスーパーカブを積んで、海や野山へ遊びに行き、四輪では走破できない道にくるとスーパーカブを使った。ときにはラフロードや砂丘まで走る。そのためにスーパーカブをトレールタイプに改造していたのである。

アメリカンホンダがハンターカブの商品開発アイデアを思いつくのは当然といえば当然のアウトドアスポーツ・シーンがあった。

ただちにアメリカンホンダは商品企画をたてて、日本のホンダへトレールタイプのスーパーカブ開発を要請した。これぞホンダCA100T トレール50が誕生である。

トレール50は、スーパーカブから、レッグシールドとフロントフェンダー、チェーンケースと山火事の原因となる可能性がある太いマフラーを外し、あらたにブロックタイヤと大型キャリア、アンダーガードと組み替え可能な大型ドリブンスプロケットを装備した派生モデルであった。

スーパーカブの販売価格が245ドルのとき、トレール50は275ドルだった。アメリカンホンダの新入社員の月給が500ドルであった時代である。

トレール50はアウトドアスポーツを楽しむための新しいアイテムになった。アメリカンホンダはいままでになかったスーパーカブのマーケットをひとつ切り開くことができたのである。そこからユーザーの評判を手がかりにして商品改良を続け、このマーケットをじわじわと開拓していくのであった。

1961年 CA100T TRAIL50
CTシリーズの元祖といえるCA100T TRAIL50をアメリカで発売しました。スーパーカブC100をベースに、レッグシールドやフロントフェンダーを取り外し、大型のリアスプロケットやブロックタイヤを装着。リアキャリアとアンダーガードはオプション設定、車体色は鮮やかなスカーレットレッドです。
1962年 C105T TRAIL55
54ccのC105をベースにしたパワーアップ版を発売しました。山火事などを予防する意味もあり「Down swept」と呼ばれる細いマフラーを装着。CA100T TRAIL50よりやや大きなシートと、クロームメッキのリアキャリアは標準装備。車体色は1971年モデルまでレッドとイエローの2色です。

49㏄OHVエンジンであった1961年発売のホンダCA100T トレール50は、翌1962年にOHVエンジンを54㏄にサイズアップしてホンダCA105T トレール55になる。リアブレーキはハンドル左レバーでも右ペダルでも操作できるようになり、鉄製の折りたたみ式ステップを装備するなど細かい改良がほどこされた。

さらに1963年には安全性を高めるためにアップマフラーを採用した。それはハンターカブのアイコンとなる個性的なデザインの登場でもあった。

この1963年モデルは、同年開催の「第10回・全日本自動車ショー」に輸出モデルとして参考出品され、そのときのペットネームが「ハンターカブ」だった。

1963年 CA105T TRAIL55
この年のモデルからアップタイプマフラーを装着しました。マフラー以外は前年モデルと基本的に同様ですが、後に車体とフロントフェンダーをクロームメッキしたスペシャルモデルも存在しました。
1963年 C100H
1963年10月に開催された第10回全日本自動車ショーでは、ナイセストキャンペーンに合わせてスーパーカブシリーズの特設ブースを設置。輸出モデルとした50ccのC100Hも展示しました。出展:オートバイ誌

大いなる飛躍をとげたのは、1964年にアメリカ発売のCT200 トレール90であった。新設計の87㏄OHVエンジンを搭載し、排気量が一気に約1.6倍になったのである。パイプハンドルやマッドガード付きフロントフェンダーなどが装備された。さらに1966年にはエンジンが89㏄のSOHCになり、車名もCT90 トレール90に改められた。後期型からはサブミッション付き前進4段のトランスミッションになりドリブンスプロケットが小型化した。ホンダ・トレールCTシリーズは毎年のように改良がほどこされ人気モデルになっていった。

1964年 CT200 TRAIL90 
一回り大きなスーパーカブCM90の車体に、ビジネスモデルC200の87ccのOHVエンジンを組み合わせたCT200を発売しました。自動遠心クラッチの4速で、リアスプロケットは大小2枚を装備しています。
1966年 CT90 TRAIL90 (K0)
スーパーカブがOHVからOHCの新型エンジンになったことで、CT200にスーパーカブC90用の89.6ccOHCエンジンを搭載してモデルチェンジ。前期型は自動遠心クラッチの4段にダブルのリアスプロケットを採用。後期型はダブルのリアスプロケットを廃止して自動遠心クラッチの4段に副変速機を追加しました。

大規模の農園や牧場で馬のかわりにホンダ・トレールを使う人たちもあらわれた。遊びの道具であったトレールCTシリーズは働く道具にもなった。まさに用途を選ばないカブ・タイプの本領発揮である。

そして1969年、より本格的なトレール仕様へとモデルチェンジをおこなった。

フロントサスペンションは、よりスポーティーなテレスコピックに設計変更され、フロントフェンダーは可動式である。キャブレターは後ろ向きで、エアクリナーはフレームサイドに移された。フレームパイプは樹脂製保護カバー付きである。販売価格は340ドルであった。

1969年 CT90 TRAIL90 (K1)
フロントフォークをボトムリンク式からテレスコピック式に変更して走破性を高めました。車体色はスカーレッドレッドとブライトイエローで、フレームにグレーのプラスチック製シュラウドを装着しました。
1970年 CT90 TRAIL90 (K2)
折りたたみが可能なスイベルロックハンドルバーを装着、マフラーガードの形状も変更しました。車体色に変更ありませんが、サイドカバーとシュラウドはダークグレーメタリックになりました。

ハンターカブは、スーパーカブをベースとして、アメリカのアウトドアスポーツ・シーンで誕生し改良発展をとげて、世界各国へと展開していったカブ・タイプのトレールモデルになった。

 
1971年 CT90 TRAIL90 (K3)
カバーの下にあるマフラー本体の塗装を耐熱性あるブラックに変更しました。車体色はスカーレッドレッドとサマーイエローで、シュラウドにはブラックの下地にホワイトラインの入りのストライプを追加しました。
1972年 CT90 TRAIL90 (K4)
リアキャリアの左側にCT90の特徴のひとつとなった補助燃料を標準装備しました。タンクシートにクロームメッキのリベットを追加しました。K3までの車体色はレッドとイエローの2色を設定していましたが、K4からはマースオレンジとなり、シュラウドはダークグレーメタリックに変更しました。※写真は1973年型。
1974年 CT90 TRAIL90 (K5)
ウインカーを標準装備しました。
1975年 CT90 TRAIL90 (K6)
車体色をタイタンレッドに変更して、フレームシュラウドとサイドカバーも同色に変更しました。HONDAのロゴはブラックです。
1976年 CT90 TRAIL90
リアショックのカバーを廃止しました。車体色は再びシャイニーオレンジに変更しました。HONDAのロゴはイエローで、1977年モデルはブラックに変更しました。
1978年 CT90 TRAIL90
車体色はブライトイエローに、リアショックスプリングとホイールハブをブラックに変更しました。
1979年 CT90 TRAIL90
HONDAロゴが大きくなり、車体色は再びタイタンレッドに戻しました。CT90の北米仕様はこのモデルが最終型になりました。