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佐藤琢磨インタビュー
アタックし続けるレース人生、その原動力に迫る

モータースポーツ

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最高時速380km、わずかなミスでマシンはスピンを喫し、壁にクラッシュを余儀なくされる―。そんな過酷な状況下で、200周にわたってマシンをコントロールし続けても、勝利が得られるかは分からないのが、インディアナポリス500マイルレース、INDY500です。
勝者は全米で称賛され、生涯にわたって “INDY500チャンピオン”として尊敬を集める、特別なレース。今年8月、そこで日本人として初めて2勝目を挙げたのが佐藤琢磨選手です。2度のINDY500優勝は、現役でシリーズに参戦するドライバーの中では唯一。あくなきチャレンジを続ける琢磨選手に、その原動力を伺いました。

「No Attack, No chance」を貫いて

琢磨選手のモットーは、「No Attack, No chance」。「アタックし続けなければチャンスはない」の言葉通り、常にアグレッシブなスタイルで結果を出してきました。しかし、アタックしていれば他のマシンと接触する場面もあり、批判を受けることも。それでも、攻め続ける琢磨選手。ひるんでしまうことはないのでしょうか。

琢磨選手「目標はシンプルです。レースに勝ちたいんです。その過程で、誤解を受けることもありましたが、自分としてはぶれたつもりは一回もないです。ただ、失敗した場面はあったと思います。その失敗というのが大切で、失敗するからこそ、それを克服しようと次につながります。そして、失敗というのは、限界で挑んでいなければできません。ゆっくり歩いていれば、普通はつまずかないですよね?でも、全速力で走るから転ぶときもある。そのときになって初めて、自分の課題が見えて、どうすれば転ばないかを振り返ることができるんです」

2度目のINDY500制覇を果たし、メディアの前で凱旋報告をする琢磨選手
2度目のINDY500制覇を果たし、メディアの前で凱旋報告をする琢磨選手

琢磨選手「批判を受けるときもありますが、それは一つの意見として受け止めます。そして、多角的に検証する。自分はこう思う、でも確かに自分もこうだった、では次はこうしよう、と色々なことが見えるんですね。そして、次に同じような機会を得るためには、再び挑戦する必要があります。でも、批判されて、そこで止めてしまえば、再挑戦はできなくなってしまう。“このままでは終われない”という気持ちは常に強く持っていますね」

2度目のINDY500制覇と8年前の約束

琢磨選手の「No Attack, No Chance」を象徴するレースの一つが、2012年のINDY500。インディカー・シリーズ参戦3年目、「レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング(RLLR)」へ移籍し、シリーズでの初表彰台を獲得するなど、充実して迎えた一戦でした。

19番手スタートながら徐々に順位を上げ、レース中盤では一時首位に立つ好調ぶり。そして、4度のチャンピオン経験を誇るダリオ・フランキッティ選手の後方、2番手で最終ラップを迎えます。このまま2位で終わっても、シリーズでの自己最高成績、さらには日本人選手としてのINDY500ベストリザルトです。それでも琢磨選手はあくまで勝利を目指し、ターン1でフランキッティ選手を追い抜きにかかります。しかし、マシンはコース端の白線に乗ってスピンを喫し、そのままウォールへクラッシュ。最終成績は17位となってしまいました。

2012年INDY500、最終ラップで勝利に迫った琢磨選手
2012年INDY500、最終ラップで勝利に迫った琢磨選手

モットーとする「No Attack, No Chance」を広く知らしめるレースとなりましたが、このときの走りが、インディ500で過去最多勝利数を誇る伝説的ドライバーのひとりであるA.J.フォイト氏に気に入られて、翌年にチームを移籍。2013年のロングビーチグランプリにて、インディカー日本人初優勝の快挙を含む4年間の挑戦を経て、2017年にはアンドレッティ・オートスポートと共に初のINDY500制覇を成し遂げますが、アタックの結果として勝利を逃してしまったRLLRに対する想いは残り続けていました。

そしてその翌年、再びRLLRへ移籍した琢磨選手。「とにかくこのチームでINDY500を勝つんだ」という想いは人一倍強かったと言います。

琢磨選手「チームの3人のオーナーたち(ボビー・レイホール氏、デイビッド・レターマン氏、マイク・ラニガン氏)は、2012年のことを『誇りに思う』と言ってくれましたが、一方で落胆していた部分もあったと思うんです。そのときに感じた気持ちは、常に残っていました。今年の僕のマシンのチーフクルーは、8年前と同じ。勝利を決めて帰ってきたとき、チームのみんなが顔をクシャクシャにして喜んでいるのを見て、万感の思いがこみ上げてきましたし、『これでオーナーたちをビクトリーレーンに連れていける』とうれしく感じました。マシンを降りたら、体が折れるんじゃないかというくらいに強く抱きしめられて(笑)。8年越しで夢を叶えられたことに感謝しています」

2020年INDY500のビクトリーレーン。クルーやオーナーたちに囲まれて、伝統であるミルクでの祝杯を挙げた
2020年INDY500のビクトリーレーン。クルーやオーナーたちに囲まれて、
伝統であるミルクでの祝杯を挙げた

仲間がいるから強い気持ちを持ち続けられる

失敗を糧に前を向き続け、決して折れない気持ちを貫けるのは、こうした仲間の存在が大きいと言います。2019年のあるレースで、複数台が絡む多重クラッシュが起きたときのこと。特定の角度からの映像をもとに、選手や一部メディアから「佐藤のドライビングが原因だ」と批判が集まる事態になります。

琢磨選手「一部分を切り取った映像では、たしかに僕が動いたことが原因のように見えたかもしれません。でも、多角的に検証すると、180度違う事実が見えてくるんです。あのとき、チームであったり、第三者であったり、色んな人が声を上げて、支えてくれました」

嫌疑のかかったポコノの次戦で見事に優勝。チームメンバーと喜びを分かち合った
嫌疑のかかったポコノの次戦で見事に優勝。
チームメンバーと喜びを分かち合った

この批判に対して、チームは車載カメラの映像を公開し、決して琢磨選手だけが原因でなく、複数のドライバーの動きが絡み合ったアクシデントであったことを主張。そして、この次のレースで琢磨選手は見事に優勝を果たし、自らにかかった批判を一蹴してみせました。さらには、意外な人の言葉も支えになったそうです。

琢磨選手「アクシデント直後のメディカルセンターで、2012年のライバルだったダリオ・フランキッティが声をかけてきてくれたんです。ダリオとは特別親しいわけではなかったのに、彼は『タク、メディアに出る前に必ず自分で映像を見返して冷静に話せ。俺が見る限り、君は動いていない』と話してくれました。この言葉には非常に救われたし、彼のモータースポーツへの愛情やフェアな視点というのをすごく感じました。集中砲火を浴びたような気がしていたけど、彼の一言で冷静になれたし、その後チームが車載映像を公開して反論してくれたり、本当に多くの人のおかげで自分が戦えていることを実感した出来事でした。そういう人たちのために、頑張ろう、立ち向かおうという気持ちになれるんです」

Hondaとともに歩んで

こうした仲間の一人として、Hondaも、琢磨選手のレースキャリアとともに歩んできました。琢磨選手がHondaを選び続けてくれた理由は何なのでしょうか。

琢磨選手「シンプルに、Hondaが好きなんですよ。僕の父の知人がHondaディーラーに勤めていて、シビック、アコード、プレリュードと乗り継いでいました。僕は生まれたときからずっとHondaのクルマに乗っていたんです。最初に覚えたアルファベットもHですから」

レーシングドライバーになりたいという思いを抱くようになった原体験も、Hondaの思い出でした。

琢磨選手「10歳のときに、生まれて初めて見たレースは、1987年のF1日本グランプリでした。風を切り裂きながら目の前を走っていくマシンを見て、衝撃を受けました。しかも、目の前でHondaのエンジンを積んだマシン(ウイリアムズ・ホンダ)がドライバー、コンストラクターズのダブルチャンピオンを決め、アイルトン・セナや中嶋悟さんがHondaのエンジンで走っていた。そこで僕は夢をもらって、Powered by Hondaのロゴに憧れを抱き続けてきました。そこから、HondaのエンジンがF1の世界を圧倒していく姿をリアルタイムで見ていましたから、その想いというのは強烈ですよね」

琢磨選手が初めてレース観戦した1987年、F1ではHondaエンジンが16戦11勝と圧倒的な成績を収めた
琢磨選手が初めてレース観戦した1987年、
F1ではHondaエンジンが16戦11勝と圧倒的な成績を収めた

学生時代にレースができる環境にはなかった琢磨選手は、モータースポーツではなく、自転車競技に没頭。高校3年生のときにはインターハイ(高校総体)での優勝を果たします。それでも、Hondaへの思いは密かに持ち続けていたそうです。

琢磨選手「使っていた自転車にHondaのロゴを貼っていました。そのくらい、気持ちは強かったんですね。そこから、鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS)に入校できて、夢に見ていた鈴鹿サーキットを走ったときは本当にうれしかったし、ここで、Hondaでレースをしていくと決意した瞬間でもあります。それが自分の誇りでした。そこからはいいときもそうでないときもHondaとともに歩んできましたね」

優秀なレーシングドライバーとして、高い評価を集める琢磨選手だけに、Honda以外のマシンに乗る選択肢もあったのではないでしょうか。

琢磨選手「正直、ほかのメーカーでもと考えた瞬間はあります。でも、そのときに思ったのは『ほかのメーカーにできるんだから、Hondaにできないわけがない』ということ。そのために頑張ってくれている人たちがいるのは分かっていたし、目に見えないところでも多くの人が支えてくれていました。その人たちの思いに自分の思いが重なって、走り続けるからこそ次に進んでいけます。その連続で、今回のINDY500優勝もあるわけで、Hondaと一緒だったから叶えられたことだと思います。だからこそ、自分の達成感だけでなく、誇りに思えることですね」

2003年F1最終戦の鈴鹿に急きょスポット参戦し、6位入賞。約16万人の観衆を熱狂させた
2003年F1最終戦の鈴鹿に急きょスポット参戦し、6位入賞。
約16万人の観衆を熱狂させた

現在はアメリカ人のHondaスタッフと仕事をすることが多い環境ですが、日本と同じような気風を感じることもあるそうです。

琢磨選手「アメリカのHondaの中で、もっとアメリカナイズされた方向性がいくべきじゃないかという議論が出たときに、あるアメリカ人社員の方が『自分は日本のHondaに憧れて入社したんだ。だから、日本のやり方を貫くべきだ』という主張をした場面がありました。僕ら日本人がこの島国から大陸へ出て、受け入れてもらうためには形を変えなきゃいけないのかなと思うけど、そうではないとアメリカ人のほうから言ってくれたのは面白いなと思いました。多少は各地に合わせて変わる部分もあるでしょうけど、Hondaらしさというのは、ぶれないでいるべきだし、そうした価値を持つブランドと一緒にやれていることがうれしいですね」

競技に携わる以上は、一切の妥協を許さずに目標へ向かっていく。勝利へのこだわり、それがまさにHondaの持っているもの。2012年のあのレースも、Hondaスピリットの現れなのかもしれません。

若い力からの刺激、そして将来に向けて

現役ドライバーでありながら、鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS)では四輪部門のトップ=プリンシパルという顔も持つ琢磨選手。活躍する若手ドライバーたちを、どのように見ているのでしょうか。

琢磨選手「自分が始めたときよりもずっといい環境でやれていますよね。そこに、センスのいい若いドライバーがたくさん現れていることが素晴らしいと思います。だから、F1をはじめ、自分たちがなし得なかった夢を託していければと考えていますし、彼らならやってくれると僕も信じています。そのために、僕らが先輩として味わってきた苦労や失敗を、知ってほしいなと思いますね。今、僕が現役ドライバーとして戦う姿を見せられているので、その苦悩だったり、今回のような喜びだったりを感じてほしいです。それが彼らの経験になるし、直接的な指導だけでなく、姿を見て感じてもらえることもあるんじゃないかな」

2019年の入校式で生徒へ訓示を行う琢磨選手。自身の経験を交えた話には、大きな説得力が。
2019年の入校式で生徒へ訓示を行う琢磨選手。
自身の経験を交えた話には、大きな説得力が。

SRSという環境があることも、若い選手たちが伸びるためには重要だと話します。

琢磨選手「子どもたちが自分だけでできることには限界があります。頑張れるけれども、どこでどのように頑張ればいいのかを提示してあげるのは大人の役割です。環境を整えて、チャンスを与えて、それを活かせるかは本人の努力です。僕らの時代は苦しみながら環境を手に入れましたが、そこは今の子どもたちが経験しなくてもいいところと、むしろ積極的に気付かせる必要があるところと、慎重に進めていかねばなりません。プリンシパルとして関わらせてもらっていますが、きちんと枠組みを作ってあげるところにも力を割きたいですね」

今季、角田裕毅(つのだ ゆうき)選手が、F2でランキング3位という結果を残し、2021年のF1レギュラードライバーの座をつかみ取りました。こうした若手ドライバーの成長を、琢磨選手はどう見ているのでしょうか。

琢磨選手「若さに刺激を受けますよね!(笑)。自分もかつてはありました。気持ちは今でも同じだけれど、レースを始めて間もない20代の頃と現在では見え方、感じ方が違います。自分でも若気の至りだなと思うこともあったし、もちろん彼らにもそういう部分があると思う。それを持って進んでいけばいいんですけど、もしネガティブな方向に影響が出てしまうようなら、そうならないように僕らがサポートしていかなければと思います。この気持ちが正しい方向に行けば、ものすごい力になりますから!それができているのが角田選手や岩佐歩夢選手(いわさ あゆむ、2020年フランスF4でチャンピオン獲得)で、彼らが自分の力で実現したというのは本当にすごいことだなと思います」

F2で結果を残し、F1レギュラードライバーという夢をつかみ取った角田選手
F2で結果を残し、F1レギュラードライバーという夢をつかみ取った角田選手

来季で44歳を迎える琢磨選手。先日、再びRLLRでの参戦が発表され、まだまだ走り続ける姿を見せてくれます。

琢磨選手「INDY500に初めて勝ったときはとてもうれしかったんですけど、2勝目があるとは思ってもみませんでした。でも、2回勝つともう一回勝ちたいという気持ちが湧いてきますね。勝つことで見えてきた景色があるんです。これで満足というのはまだないですし、もしその気持ちがなくなってしまったらステアリングを置くときなのだと思います」

まだまだ勝利を目指して戦う気持ちは尽きない様子の琢磨選手。さらなる勝利をともに重ねていけるよう、Hondaとともに次の一歩を踏み出します。

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