イノベーション 2020.12.21

筆談よりも速く、手話よりもみんなに分かりやすく。聴覚障がいのある仲間と働く職場のコミュニケーションを技術で改善する

筆談よりも速く、手話よりもみんなに分かりやすく。聴覚障がいのある仲間と働く職場のコミュニケーションを技術で改善する

Hondaでは様々な特性を持つ多様な従業員が働いており、その中には聴覚障がいを持つ従業員もいます。
聴覚障がい者と健聴者が一緒に働く職場では、日々のコミュニケーションに様々な課題があります。会議の場では手話や筆談を駆使して議論を行いますが、手話ができる人は限られており、筆談は情報伝達に時間がかかるうえ、どうしても情報量が制限されてしまう。コミュニケーションがもっとスムーズになれば、自分の想いをダイレクトに伝え、活発な議論ができるのに...。

そんな声を耳にしたホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン(以下「HRI-JP」)の技術者たちが、会議での発話内容をリアルタイムでテキスト表示するとともに、聴覚障がい者がすぐに意見を発信することを助ける機能を備えた、独自のシステム開発を行っています。
今回のHonda Storiesでは、「自分たちが持っている技術で仲間の役に立ちたい!」と考える、技術者の想いをお伝えします。

人の役に立ってこその技術

「現場で、毎日使われるシステムにする」
プロジェクトを開始する際、チームが最初に設定したテーマです。
この目標は技術者と現場の試行錯誤によって達成されつつありますが、今なお開発チームにとっては重要なコンセプトであり続けています。

2017年。
HRI-JP の重見聡史は、「聴覚障がい者と健聴者が働く職場では、会議などのコミュニケーションに課題がある」という声を耳にしました。

重見 「技術者として昔も今も変わらず私が考えているのは、『人の役に立ってこその技術なんだ!』ということ。新しい技術の研究や開発にチャレンジすることももちろん重要ですが、それ以上に、世の中の困りごとを解決するために技術を使って何ができるかを考え、提供していくことが一番大切だと思っています。
ですから、聴覚障がいのある仲間とその職場で困りごとがあるという話を聞いて、『自分たちの技術でなんとかしたい。HRI-JPで研究している音声認識の技術を使えば、役に立つものが作れるのでは?』と考え、プロジェクトをスタートさせました」

ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン 重見聡史 ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン 重見聡史
ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン(HRI-JP)

Hondaの先端科学技術の研究を担うグローバルな組織として、2003年に設立されたホンダ・リサーチ・インスティチュート(日本・北米・欧州)の日本における研究拠点。活動理念は、「Innovation through Science」であり、人々の生活に喜びを与え、新しい価値を提供するための研究に取り組む。人、環境、ロボットがインテリジェントシステムとして調和し、共存するハイブリッド社会を実現するための人工知能と協調知能を中心に、インテリジェントコミュニケーション、ソーシャルインタラクション、人理解を主な研究領域としている。

ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン

重見は早速、同じくHRI-JPに在籍し、音声認識技術の研究に取り組んでいた住田直亮をプロジェクトメンバーに迎えます。

ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン 住田直亮 ホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン 住田直亮

住田 「私は長年基礎研究に携わっていたので、ほとんど現場に触れる機会がありませんでしたし、そもそも障がいのある人の働き方に対する具体的なイメージを持っていませんでした。ですので、重見さんのプロジェクトに誘われて、現場に足を運んでみて初めてそこに大きな困りごとがあるということを知ったんです。そして、それを解決できるかもしれない技術が自分たちの手元にある。これはもう、技術者としてやる気にならないはずがないですよね」

目の当たりにした「不便さ」

課題の解決に向け動き出したチーム。しかし、実情を深く知れば知るほど、想像した以上の不便さが現場にあることを知ります。

住田「もちろん、耳が不自由な人と、声での意思疎通に慣れた人が一緒に働いているのだから、色々とコミュニケーションの上で不便なことはあるだろうとは思っていました。ですが、実際に話を聞くうちに、これは思った以上に困難が多いんだと痛感しました」

聴覚障がい者が利用するコミュニケーション手段は、主に「筆談」と「手話」の二つ。しかし、特に会議の場においては、それぞれに課題があるといいます。

重見「筆談の最大の課題はスピードの遅さです。一つの会議で一人の健聴者が筆記に専念することになりますが、一字一句まで文字にはできません。普通は書いたりタイプしたりするスピードより、読むスピードの方が速いですから。そのため多くの健聴者が要約した文章を書きますが、その質や量も人によってまちまちです。また、筆記する人はどうしても筆談に集中することになり、会議に参加しきれないという問題もありますよね。聴覚障がい者、筆談担当者ともに、意見があっても発言の機会を逸してしまい、気が付くと会議が先に進んでいるということが起こるんです。
一方で、手話にはリアルタイム性はありますが、限られた人しか活用できないという点が大きな問題です。さらに社内で使われる専門用語や新しい言葉は手話では表現しづらいこともあるといいますし、会話が記録として残らないため、全員でディスカッションして物事を決めていく会議には不向きな面が多くあります」

重見聡史と住田直亮

スピードと正確さの両立、使用するためのハードルの低さ、新しい言葉への追従…。
現場の役に立つものを作るためには、これらの課題を理解し、的確に解決する必要がある。開発チームは少しずつ取り組みを進めていきました。

現場の声で改良されていったシステム

プロジェクト開発から約半年、「Honda Communication Assistance System(以下「Honda CAシステム」)のプロトタイプが完成します。

Honda CAシステムの仕組み

Honda CAシステム は、会議での参加者の発話内容をマイクで拾い、Honda独自のAIを使った音声認識プログラムでテキストに変換。パソコンなどの画面にテキスト表示させるシステムです。発話とほぼ同時にテキストが表示されるので、聴覚障がい者がタイムラグを感じることなく、正確な内容を把握することができます。
発話内容のテキスト表示だけでなく、キーボードや手書きでの入力を行う機能を備え、聴覚障がい者が自然に議論に参加することを助けます。

このシステムが正確に機能すれば、筆談や手話の持つ課題をほとんどカバーできるとチームは考えました。
研究室でのテストと改善を重ね、実用に耐える品質になったと判断したチームは、自信を持ってシステムをホンダR&D太陽に持ち込みます。

ホンダ太陽・ホンダR&D太陽

中村裕博士と本田宗一郎の「障がいのある人達の社会的自立の促進」と言う理念のもとに設立された、本田技研工業(株)の特例子会社。働く一人ひとりが、障がいの有無に関係なく持ち味をいかし、仕事を通して社会の役に立つ「世界のモデル企業」となることを目指している。“障がい者”としてではなく「一人の人間」として社会に役立ち、普通に生きてゆく「何より人間~夢・希望・笑顔~」を基本理念とする。

ホンダ太陽・ホンダR&D太陽

住田「研究所内のテストで、ようやくHonda CAシステム の音声認識能力が合格レベルに達したんです。よし、これはいけるぞと。
そこで現場に持って行って、使ってもらったんですが…、もう全然ダメでしたね(笑)。ボロボロでした」

重見「研究室内での評価が高くても、現場で使えないというのは、実はよくあることなんです。研究所の評価ポイントと、現場の求めるポイントが違うのが原因です。
現場で使えるようにするには、現場でやってみないと分からないことが沢山あります。開発した人間はシステムの特性が分かっていて、自然とそれに沿った使い方をしますが、実際の現場にはいろんな人がいて、いろんな話し方・スピードで話していますからね。
そこからの開発は、現場のデータをフィードバックしてもらいブラッシュアップして、また現場で使ってもらい…。という繰り返しです」

実際の使用風景 実際の使用風景

住田「ここでも『現場の大事さ』を思い知りました。最初はホンダR&D太陽の担当者も『せっかく身内が作ってくれたんだし、使ってみるか…』という感じだったんですが(笑)。現場でのテストと改善を積み重ねていくうちに、Honda CAシステム の音声認識の精度はどんどん向上していきました」

技術者と現場、二人三脚でのトライアンドエラーの末、Honda CAシステムはついに実用レベルに到達。現場で使用開始されます。
チームの狙い通り、Honda CAシステムが利用される会議では、聴覚障がい者が議論の流れを把握しやすくなり、タイムリーに発言できることでチームの一体感や仕事へのモチベーションが向上するという効果が出ています。また、筆談者の負荷が減ることで、会議時間の短縮にも繋がっているということです。

音声認識の精度向上だけでなく、在宅勤務での打ち合せに利用できるようオンライン会議対応などの機能も盛り込み、Hondaの様々な事業所でHonda CAシステムの導入が進んでいます。
システムを利用しているホンダR&D太陽の担当者から『これがなくなったら困る!』という声があがるほど、現場での日々の業務に欠かせない存在になっています。

「いろんな人に使ってほしいです」

実際にHonda CAシステムを利用しているホンダ太陽の従業員に、システムを使用した実感について聞きました。

上薗由起(聴覚障がい者) 上薗由起(聴覚障がい者)

上薗「Honda CAシステム によって、聴覚障がい者が無理なく会議に参加できるようになりました。筆談をする必要もなくなり、相手の表情を見ながら話せるようになって、コミュニケーションの精度が上がったと思います。色々な人にぜひ使ってほしいと思います」

津崎大樹(聴覚障がい者) 津崎大樹(聴覚障がい者)

津崎「会話の情報量が増やせるので、コミュニケーションを通じて得られる情報が限られている聴覚障がい者にはぜひ使ってほしいと思います。会議だけでなく、飲み会やイベントなどプライベートな場でも広く使われるようになればいいですね」

佐矢野芽亜里(健聴者) 佐矢野芽亜里(健聴者)

佐矢野「以前は聴覚障がいのある方には会議の要約を伝えることしかできませんでした。冗談を言っても伝わらなかったり、筆談者の筆記速度を考慮して発言のテンポを落としたり…。リアルタイムな意思疎通が難しかったんです。ですが、Honda CAシステムのおかげでそれらの悩みはかなり改善されました。以前は会議に参加できていないようだった人も、画面をしっかり見て内容を理解しようとしているように感じます」

仲間のために、現場の意見を聞いて作り上げたHonda CAシステム。それだけに、現場からの喜びの声はチームの大きな力になったとのこと。

重見 「特に嬉しかったのは、聴覚障がいを持つ方からの『自分の意見がタイムリーに発言でき、会議に積極的に参加できるようになった』という言葉ですね。雑談のような部分も含めて把握することで、作業内容だけではなく、その仕事の目的や意味も初めて分かってくる。そこから初めて、『じゃあこうしたらいいんじゃないか』『ほかにもやれることがあるんじゃないか』という工夫や提案、つまりイノベーションが生まれてくるんです」

Honda CAシステムでは手書きの文字や図を送ることもできる Honda CAシステムでは手書きの文字や図を送ることもできる

住田「健聴者からも『ホワイトボードを文字で埋め尽くさなくてよくなりました!』という、喜びの声をもらいました。さらに、コミュニケーションがスムーズになることで会議の時間もかなり短縮されたようですね。複数の利用者に聞いてみたところ、平均すると2~3割は会議時間が短くなっているみたいです。こういった具体的な成果にも手ごたえを感じています」

重見「このシステムで仲間の課題解決をサポートしたといっても、それがすぐに直接お金に繋がるわけではないんです。それでも、こうしたサポートによって、聴覚障がいのある仲間がもっと前向きにチャレンジして成果を出しやすくなる。それが「技術で人の役に立つ」ということだと思いますし、そうした取り組みを認め、後押ししてくれる空気がHondaにはあると思います」

Honda CAシステムでは手書きの文字や図を送ることもできる

住田「お世辞じゃなく、心から喜んでくれるのが分かるから、私たちも嬉しいんです」

重見 「技術者冥利に尽きるよね」

障がいの有無に限らず、人種・国籍・文化・性別…と、社会では多くの属性を持った人々が日々を過ごしています。
すべての人が、それぞれの特性を生かして活躍できる企業であり続けることが、社会の役に立つイノベーションに繋がっていく。Hondaはそう信じています。
Hondaはこれからも、創業以来の理念である「人間尊重」をベースに、多様な人材が働きがいを感じ、能力を発揮できる環境作りに取り組んでいきます。

※新型コロナウイルス感染症対策を実施した上で取材・撮影を実施しています。
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