私のS500は昭和39年(1964年)式なんですけど、ようやく名神高速道路ができたばかりの、道路環境はいいとは言えない時代に生まれたクルマだと言えます。自分の育った町を思い起こすと、クルマが快適に走れる環境じゃなかった。それなのに「S」は時速100kmで巡航できた。そして今も巡航できるんです。もう50年も経っているのに。道路環境を考えると、当時の時速100kmという速さは今で言えば200kmオーバーぐらいのイメージに近いのではないでしょうか。
僕の親父が同時代にオースチン・A50に乗っていたのですが、それはOHV 1,500ccで50馬力のエンジンを載せていました。排気量は、S500の約3倍ですよ。それでも時速100km出なかったんです。そういうことを思い出すとすごさがわかりますよね。
S500を高速道路で走らせていると、「志の高い人が作るとこういうものができるんかな」としみじみ思います。時代に迎合していれば、これだけの性能は必要なかったはずです。まさに志の塊ですね。
S500を手に入れたのは全然こだわりではなくて、最初はS600を探していたんです。それでたまたま通り掛かった自動車屋さんに捨ててあったんですよ。グリルを見たら「600じゃないし、もちろん800じゃないな」と。その頃、恥ずかしながら、500って知らなかったんです。それでうちへ帰って調べました。そしたらS500っていうのがあったと。パーツに欠品はなかったので直せました。宗一郎さんが亡くなる前にエンジンパーツだけで9割ぐらい入ってきました。5ヵ月ぐらいしか販売されなかった短命のS500のパーツがですよ。自分のために宗一郎さんが取っておいてくれたんじゃないかと思うぐらい幸せでした。
今回お話を伺ったオーナーさんの原稿をまとめているとき、インタビューさせていただいた方の中の須田さん、秋元さんのお二人は、以前、当サイトで2000年にツインリンクもてぎで開催された「2シーターパーティ ジムカーナ&バーベキュー」の会場でインタビューさせていただいた方だったことがわかりました。このイベントはツインカムクラブが中心となって、Hondaの2シーターに乗るオーナーを募ってのイベントでした。懐かしい写真とともに当時のインタビュー記事、レポートをご紹介します。