Sportscar web TOP > 大いなる軌跡 TOP > 高平 高輝
「ウチは“レーシー”な会社ですから」
「そりゃそうですね」と相槌を打ちながら、実はその時、上原さんの言葉の意味を正しく理解してはいなかった。
競争好き、レース好きということなら、Hondaの右に出る会社など日本には存在しない。それどころか世界でも珍しいぐらいなのに、何を今さら言うのだろう、ぐらいに考えていた。だが、上原さんの言葉の真意はそんなことではもちろんなかった。私の察しの悪さがそのまま顔に出ていたのだろう。上原さんはすぐに言葉を継いで分かりやすく説明してくれた。
「いや、レース屋体質というか、ほら、スタート直前のグリッド上で時間ギリギリまでクルマにあれこれ手を出しているチームがあるでしょ。もう何べんも繰り返しチェックしているのに、飽きもせずにまたタイヤの空気圧を見たり、トルクレンチをかけたり。あれですよ。まあ往生際が悪いというか、最後の最後までジタバタするんです」
そんな話を聞いてからもう15年は経っただろうか。
NSXのデビューから17年、生産が終了してからでさえ2年が過ぎた今、改めて思い返してみると、あの時の上原さんの言葉こそ、NSXという稀有なスポーツカーと、それを生み出し育んだHondaという土壌の特質をもっともよく解き明かす鍵だったことに気づいた。
現代の自動車は、程度の差こそあれ、すべて大量生産の工業製品であり、設計開発目標にしたがって、緻密なスケジュール通りに効率的に作られるものだ。開発や生産それ自体も巨大な機械のようなシステムの一部であり、一度それが回り始めると、続々と生み出される流れを停めることはできない。
ところがそんな世の中の常識とは対照的に、NSXは産声を上げる前も、そしてその後も、ひとりのリーダーに率いられたチーム、それも最後の最後までもっと何か少しでも改善できるところはないかと探す、しつこく、諦めが悪いチームによって絶えず改良を加えられてきた。
ひとりのエンジニアがある車種の誕生から終焉までを看取るということは、Honda社内でもまったく前例がないという。これだけでも十分に特別なのだが、NSXのユニークな物語はこの先もまだまだ続く。
「発売から17年経った今、実際にチェックしてみると、NSXのボディは当初私たちが予想した以上に丈夫だということが分かったんです。このクルマは私たちがいなくなった後もずっと生き続けることになります。ですから、将来のことも考えておかなければなりません」
と語る上原さんは、この9月で入社以来36年間に及んだ会社人としての立場を卒業することになったが、退職するその間際まで、NSXの今後の“生活設計”のお膳立てに忙殺されていたらしい。