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NSXというクルマは今でも心に甘く切なく響く1台です。私の所有していたNSXは、購入後、6年〜7年間で7万5千キロほど乗りました。

NSXを現在の常識や価値観で評価する、あるいは語るというのはとてもむずかしいことではないでしょうか。NSXがデビューした当時、“スーパーカー”という単語はヨーロッパでは、まだ耳慣れない新しいものだったからです。そう、最初のスーパーカーは60年代後半にデビューしたランボルギーニ・ミウラという人もいるでしょうね。でも、真の意味で、今日のスーパーカーの爆発的ブームは1980年の終わりから始まったのではないでしょうか。

その80年代末というのは、マクラーレン・カーズ(McLaren Cars)が、ちょうどロードカーのマクラーレンF1の構想をつくり始めていた時期でした。したがって私は、私自身が真に作りたいクルマとはどういうものかを考えることに集中していました。
私の理想と考えるクルマは、運転席に座ってロンドンの街へ出かけると、そのまままっすぐ南仏にまで乗っていきたくなるようなクルマです。信頼できて機能性の高いエアコンディショニングと高い居住性を備えているクルマです。オフセットされたペダルなんて許せません。高く見えにくい位置に取り付けられたダッシュボードも駄目。空力やスタイリングの美名の下にルーフを低くし、段差を越えるたびに天井に頭をぶつけるようなクルマも論外。スーパーカーは楽しんで運転するできることが基本で、それを妨げるものはすべて排除されなければなりません。

スーパーカーと呼ばれていたクルマは、かたっぱしから借りて運転してみました。ポルシェ959、ブガッティEB110、フェラーリF40、ジャガーXJ220。しかし、残念ながら、どれも我々の作ろうとするスーパーカーのお手本にはなりえませんでした。我々が求めていたのは、比較的小さめな、日常に使えるドライバーズ・カーです。ポルシェ911は日常の足として使えなくもありませんでしたが、エンジンが後ろに積まれているために挙動安定性に欠けるという難点を有していました。

そうこうしているうちに、アイルトン・セナ(故F1チャンピオン)とHondaの栃木研究所を訪ねることになったのです。当時マクラーレンのF1グランプリカーがHondaのエンジンを使っていた関係もあっての訪問でした。
そこで偶然、コースの脇に置かれていたNSXのプロトタイプを目にしたのです。アイルトンがNSXの開発を手伝っていたのも、そこで知りました。そしてそのHonda初のリア・ミッドエンジン・スポーツカー、NSXこそが我々の求めていた毎日使えるスーパーカーだったのです。そのクルマのエア・コンディショニングは完璧、トランクの広さもリーズナブル、いうまでもなく、当然Honda車の高いクオリティと信頼性を備えていたからです。
そして実際に運転させてもらいました。同行したロン・デニス(マクラーレン・カーズ社長)とマンサー・オジャー(タグ・マクラーレン・グループ代表)とともに、栃木研究所のテストコースで、そのプロトタイプを試乗しました。
運転してみて、“なんて我々の意志が精確に伝わるクルマだろう”と、感動したのを覚えています。

むろん、ご存知のように、搭載されたエンジンの気筒は6つしかありませんでしたが、NSXの非常に高い剛性を備えたシャシーは、もっと大きなパワーをも吸収できる優れたものでした。もっと大きなエンジンでもよかったのにと思ったのは事実でしたが、その小ぶりなNSXを試乗した途端、私の頭の中からは、フェラーリやポルシェやランボルギーニを自分の開発しようとするクルマのお手本にする考えは消え去りました。むろん、我々が作るクルマ、マクラーレンF1は、当然NSXよりも速いものでなければならなかったのですが、NSXの乗り心地とハンドリングは我々のクルマのお手本となったのです。

長年新車の開発に携わっていると、陥りやすい落とし穴があります。毎日、開発中のクルマをテストしていると(事実、私はマクラーレンF1のテスト走行の3分の2を担当しました)、その間中、実際にはクルマが性能的に向上していないにもかかわらず、多少なりとも向上していると知らず知らずのうちに自己暗示をかけたがるというものです。たとえば、低速でのハーシュネスを抑えようと努力していて、その日が終わる頃には、疲れ果てて、ある程度の成果を上げたと考えたくなるのが人情です。そういうときです、比較できるクルマが必要になるのは。そういう場面で、NSXは再三にわたって、乗り心地とハンドリングに関して我々の進むべき道を指し示し、我々が思うほどクルマは良くなっていないということを認識させてくれました。